彼岸花の咲く本丸 終
ラストシーンだけ先に書いてしまったもの。これだけ読むと意味がわからないと思います。
「――、」
かくん、と頭が揺れて、女性ははっと目を覚ました。電車の揺れの心地よさに眠ってしまっていたらしい。
乗客は誰もいない。一瞬状況が飲み込めず、きょろきょろと見回してみると、終点の駅名が見えた。
電車の車両は全てドアが開いていて、乗客がもう誰もいないことから、彼女は自分が終点に着いてもしばらく眠ったままだったのだと気付く。
慌てて時計を見て、ほっと息を吐く。まだ深夜というほどの時間ではない。反対方向行きの電車もあるはずだ。
降車して気付いたが、車内どころかホームにも誰もおらず、やたらと静かだ。珍しいこともあるものだ、と大して気にもとめず電光掲示板を見上げる。
帰りの電車まで、あと15分程度時間があった。この分だと、家に着くのはかなり遅くなるだろう。沿線に住み始めて3年、ここまで盛大に乗り過ごしたのは初めてだ――
「あるじ」
静寂の中、不意に呼ばれる。
心臓が一つ大きく打った。背筋をざわめきが駆け抜ける。
知っている。この呼び方を、この声を、知っている――
「あるじ……!」
もう一度呼ばれて、胸を掻き毟るような感覚に捉われた。泣きそうになりながら、声の主を振り返る。
赤茶の短髪、力強い体躯、そして、少しの鋭さと溢れんばかりの優しさを映した金春の瞳。
初めて会うはずの人なのに、確かに彼女はその男性を知っていて――いつのまにか、涙が頬を伝っていた。
「……あず、き……さん……?」
声に出した瞬間、記憶が溢れた。
審神者。刀剣男士たち。本丸。時間遡行軍。――小豆長光。
自分が小豆長光を愛し、小豆長光も自分を愛してくれたこと。陽光降り注ぐ春の日の口付け。触れる肌の温もりと夜気の冷たさ。穏やかに静かに流れていった最期の日々。そして、別れの時。
どうしてこんな大切なことを忘れたまま生きていられたのだろう。
記憶の奔流はそのまま涙となって、とめどなく名前の顔を濡らして落ちていく。
たった一言、小豆の名を呟いたきり、目を見開いてさめざめと泣き始めてしまった名前に、小豆の方も目の奥が熱くなる。しかし今は泣けない。泣きたくない。あの頃に比べて格段に健康そうで、あの頃よりも長く生きているこの愛しい人を目に焼き付けるのだ。涙で視界を曇らせたくない。
「やっと、みつけた……」
あの大好きな深い声で呟くのが聞こえたかと思うと、名前は少し乱暴とも言える仕草で抱きしめられた。
ああ、この温もり、この感触、この匂い。懐かしくて大好きで胸が苦しくて、感情と言葉の全てが涙として流れ出してしまう。
だから、何か言葉を探す前に、名前は小豆の背に手を回した。ぎゅうと上着を掴むと、自分を抱きしめている力もまた、強くなる。
しばらくお互いに何も言えずにただただ抱きしめあっていた二人だったが、名前の涙が少し収まり、しゃくりあげる音がだんだんと落ち着いた頃に、小豆が少しだけ腕の力を抜いて名前を見つめた。
そして、まだ涙に濡れた名前の頬に触れながら、噛み締めるように言葉を落とす。
「いっしょにいきよう、わたしのいとしいひと」