春宵と唇
名刺メーカーさまで作成する用に書いたものなので短いです。
初めての口付けの話。
柔らかな唇が、離れがたく角度を変えて微かな音を立てた。
「……十六夜」
「歌仙。かせん……私の名前、呼んで欲しいの」
口付けの名残に潤んだ瞳で囁かれる。吐息を集めたような声色だった。
「十六夜……駄目だよ、まだ、駄目だ。……一度口付けを交わしただけで、男をそこまで信用してはいけないよ」
「僕たちは付喪神。格はともかく神と名が付いているぶん、僕たちは嫌が応にも名前で人を縛ってしまう。僕は、きみの魂を縛りたいとは思わないよ」
「でも、……あなたは、私に名前を教えてくれたわ。出会って最初の時に。私だって、あなたに名前で呼ばれたいの」
「それは……僕が顕現できているのは、僕の名前、という楔できみと繋がっているからだろう?言ってしまえば只の物だった僕を、きみは名前で呼んでくれた。命を与えてくれた。でもそれは、審神者と刀剣という関係だからできたものだよ。逆では起こり得ない」
「あなたは…私のこと、真名で呼びたくない?」
「そんな……呼びたいに決まっているだろう!愛おしいきみの名だ、僕だけのものにしてしまいたい。でも、きみを縛り付けるのは僕の望みではないんだよ。愛してる。愛しているよ、十六夜月の君。だからこそ、きみの真名を知るわけにはいかない」
そこまで言うと、歌仙の真剣な眼差しが不意に甘く和らいだ。
「それにね、きみ。今宵、僕はきみに、きみの心ときみの唇を貰ったんだ。今はそれで十分なんだよ。あんまりにも一度に貰い過ぎてしまったら、僕の心が溶けて溢れてしまう」
だから、ねえ。ゆっくりと。歌仙は薄らと朱に染まる目尻に蕩けるような微笑みを浮かべて十六夜の頬に触れ、引き寄せるように撫でるとそのままもう一度唇を寄せた。