Die Blaue Nacht

契約前夜

結婚という名の神と人との契約を交わす、その前夜の話。
いつか名前変換できるようにしようと思いますが、真名について一文字ずつ説明しているため名前変換に対応できていません。
デフォルト名は「上月 八千代」です。

「八千代、です。上月、八千代」
 ふたりだけの部屋。明日は婚儀だ。大勢の刀剣男士の前で夫婦の契りを交わす前に、十六夜――八千代は他の誰にも聞こえないような囁き声で、歌仙兼定に自らの名を明かした。
 歌仙はそれを、息もできずに聞いていた。刀剣男士の名を審神者が呼ぶのとは訳が違う。人の子が、神、妖……今となっては何でも良いが、人ならざる者に自身の名を告げるということは、その魂すらも明け渡すということだ。互いに気持ちは確かめ合っている。今この時に名を受けることもふたりで決めたことだった。しかしそれでも、歌仙にとっては呼吸を忘れるほどの感情だった。
 八千代は巨大な感情に飲み込まれている歌仙の手を取る。そして、その手のひらにゆっくりと指を滑らせた。
「上に月、で、こうづき。八千代は――八に……ああ、幾千年、の八千代です」
 紙に書いて残すわけにはいかない。八千代は自身の名を夫となる男に刻みつけるように描いて、花が綻ぶように微笑んだ。今日は結婚前夜なのだ。幸せをそのまま形にしたような笑顔だった。
 歌仙は添えられている八千代の手を握り返す。そして押し戴くように額に当て、ついで唇に持っていく。指先に吐息が触れた。
「八千代。八千代、八千代……」
 大切に、何度も、歌仙は八千代の名を呼んだ。いままでの年月を――出会って十数年、決してその名を知ることのなかった年月を反芻するように。
 
 ――ひらりと桜が舞った。
 桜吹雪ではない。はらり、ひらりと舞い落ちるそれは、震える吐息とともに八千代の名を呟く歌仙の声と相まって、まるで涙のようだった。
 感極まったようにぐいと引き寄せられる。刀を振るう逞しい腕に抱かれ、歌仙の温かな体温を感じながら、彼の藤色の髪の間から見えたその桜を、八千代は生涯忘れないだろう。