だから捨ててと言ったのに
同一テーマで色んな話を書こう!という遊びをやったときのもの。
この二人の関係だと「だから捨てろと言ったんだ」です。
「だから、捨てろと言っておいただろう……」
らしくもなく天を仰いで、名前はため息と共に愚痴をこぼした。やる気も何もかも全部なくしました、と言わんばかりだ。
「これを持っていけ。餞別がわりに」
絶望をそのまま形にしたようなジークフリートが名前のもとへ転がり込んでから、しばらく経った頃。国の状況と自身の状況を鑑みて、ジークフリートはフェードラッヘへと戻ることを決めた。
決めたからと言って、自分の荷造りはともかくすぐに準備が整うわけもなく、名前を通してまずはアーカントから出国する算段をつけていたのだが、そんなある日、帰宅した名前が小さな包みをジークフリートに差し出した。
「これは……」
開けてみると、木を薄く削ってなにやら波のような模様が彫り込まれたメダル……のようなもの、が布に包まれて入っている。
「妖精の祈りが込められたチャームだ。モチーフは風。良い風が吹くように、というまじないみたいなものだな。ここにさらに誰かが願いを込めることで、加護が生まれる。……お前の心願が叶うことを、願っているよ」
名前はそのチャームの説明をすると、続けてジークフリートがアーカントを出てフェードラッヘへ入るまでの計画を説明し始めた。チャームを買ってきたのも、いよいよその準備が整ったからだ。
ジークフリートは、フェードラッヘへ帰ることでも、名誉を回復することでもなく心願の成就を願ってくれた名前の心遣いに気付いて礼を述べ、チャームをもう一度きれいに包み直して懐に入れた。
フェードラッヘで起こった事件の顛末はアーカントにも届いている。あの時匿った友人は、無事にその名誉を回復し、国の危機を救ったらしい。
――というニュースも過去のものになりつつある。フェードラッヘの新体制が幾分落ち着き、心身ともに余裕ができたジークフリートは、再び、今度は追われることも隠れることもなく、カール王の書簡を届ける使者としてアーカントを訪れた。
……そこまではよかった。書簡を運び、その後たまたま名前と馬で数時間程度の距離にある街を訪れた帰り。偶然にも、二人がそれぞれ乗る馬の鞍が壊れた。
ベルトが切れるとか、金具が壊れるとか、鞍が壊れること自体はともかく、二人同時にというのはものすごい偶然だな、などと話していれば、その辺りでは滅多に現れず、もうほとんど伝説と同義になっている凶暴な魔物に出くわした。倒したと思ったら今度は雷雨。流石に不運が続きすぎている。
「お前……、どこかの妖精でも怒らせたか?」
とりあえず雨宿りに入った岩陰から、止む気配のない雨を眺めながら名前は何となしにジークフリートに声をかけた。鞍のない馬で悪路を行くのは躊躇われる。日も傾いてきて、今日はここで野営だなとぼやきながら。
「妖精……?」
「ああ、アーカントの諺みたいなものだ。不運が続くことを、気付かないうちにどこかの妖精の気に触ることでもしたんじゃないか、と言うんだ」
「そうか。……、…………」
「……なんだ、まさか何か心当たりがあるのか?」
「以前、お前がくれたチャームを、俺はまだ持っている」
その時ちょうど稲光が空を明るく照らした。それを背にジークフリートを見つめる名前の閃光のような視線に、さすがのジークフリートもたじろいだ。
――これを持っていけ。餞別がわりに。妖精の祈りが込められたチャームだ。ここにさらに誰かが願いを込めることで、加護が生まれる。……お前の心願が叶うことを、願っているよ――
――ああ、あと……叶ったらこれは捨てろ。暖炉か何か、火にくべるのが一番いい。願いが叶った後もずっと持ち続けていると、強欲な奴だと思われて不幸が見舞うと言われているから――
……あの時、確かにそう伝えたはずだ。確実に伝えた。……しかし、便りもよこさなかった男なのだから、当然予想してしかるべきだった。
「だから、捨てろと言っておいただろう……」
立て続けに見舞う不運の原因が判明してしまい、名前は一度目を伏せると天を仰いでため息をついた。
「いやしかし、友人にもらったものを捨てるのは」
「違うな、……いや、違わなくもない部分はあるだろうが……実際は忘れていただけだろう! ハア……いいか、フェードラッヘではどうだか知らないが、アーカントには実際に妖精がいる。存在していて、実際に見えることもある。さっき諺と言ったが、比喩じゃない。諺になるほど当たり前に、妖精の気に障ることをすれば反動が返ってくる。……確実に、この不運はそのチャームのせいだ」
名前に言葉を遮られたジークフリートは、大人しく口を噤んでから、荷物の奥から少し薄汚れた例の包みを引っ張り出した。そこには変わらず風を模った木のチャームがあって……新品らしさはさすがになくなっているものの、本当に、もらった当時と何も変わらない――あるいは、そこに入れたことも忘れたままずっとそのままだったのかもしれない。
「フェードラッヘでは特に何も起こらなかったんだが」
「妖精の力の及ぶ範囲、みたいなものがあるんじゃないか。私も詳しくはわからないが。フェードラッヘでは及ばなかった妖精のお怒りが、アーカントに戻ってきたことで表出した、くらいのものだろうな」
考えるのも怒るのも面倒になった名前が投げやりに返す。しかし、一応贈り主としての責任があるのでは、と妙な責任感を感じてしまい、言葉を続けた。
「どうせもう今日はここで野営するんだ、火を起こせ。火を焚いたらさっさとそれを燃やせ。……人からもらったものだから燃やせないとか、燃やすのは惜しいとか、そういう問題じゃない。このチャームは立派に役目を果たしたのだから、敬意を持って炎に返してやれ。炎になり、光になり、そうやって還っていって、また誰かの加護として巡っていく。これは、そういうまじないなんだ」
”不運なことに”野営のための準備などしていないし(日帰りの予定だったのだから当然ではある)、身の回りにあるものは全て雨で湿気ている。それでもやれ、と名前は言う。巻き込んだのだから、そのくらいのことはしてもらって当然という顔だった。
ジークフリートもこうなっては大人しく従うしかないと悟ったようだ。了解した、と立ち上がると、流石に慣れた手つきで準備を始めた。それからしばらくして、稲妻の青白い光とは違う、橙色の光が二人を照らし始める。普段火を起こすのと比べると3倍ほども時間がかかってはいたが、やっとのことで確保できた火を囲み、二人は疲れとも安堵ともとれるため息をついた。
「間違っても、持ったままでいれば魔物に出くわすのは鍛錬になるとか、そんな突拍子もないことを考えるなよ。別にお前一人が不運に見舞われたところで私からすればどうでもいいが、現に今、私はお前の不運に巻き込まれている。誰が巻き込まれるか、なんて誰にもわからないんだ。守るべき人に不運が訪れる可能性もある。それを一番望まないのはお前自身だろう」
暖かく爆ぜる炎にチャームを投げ込もうとした時の一瞬の逡巡すら、目ざとく見つけられてしまう。
今度こそ本当に観念して、ジークフリートは長らく世話になったチャームから手を離した。
炎の中でもしばらく形を保っていたチャームは、二人が見ている前でみるみるうちに焼け焦げて崩れていく。一筋の真っ白な煙が立ち上りたなびいて、消えた。
雷が通り過ぎた空は雲が切れ、星が覗き始めていた。