ジークフリートさんと手合わせする話
手合わせ自体はあんまりやってません。
ヨゼフ王弑虐事件後、夢主のところに転がり込んで英気を養っているジークフリートさんです。
夢主の独自設定が見え隠れしてます。
剣筋を避けきれず、剣で受けた。
それ自体は当然の対応の一つだったが、相手が悪い。いくら訓練用に刃を潰した剣であっても、ジークフリートの攻撃は重かった。思わずいつも通りに身体を捻って受け流そうとして、名前は痛みに呻いた。力を入れたはずの左半身にはそのせいで力が入らず、そのままバランスを崩して膝をつく。ジークフリートは咄嗟に剣を逸らし、何事かというように屈み込んだ。
「大丈夫か?怪我でも……」
「ああその通りだ、お気遣いいただけて嬉しいよ」
避けきれなかったからか捌ききれなかったからか、名前は見るからに不機嫌そうにジークフリートを遮った。立ち上がろうとして、左腹にじわりと液体が滲む感覚を覚えて舌打ちする。服の上から押さえてみると、赤黒いしみが広がりつつあった。
「……傷口が開いた。手合わせはここまでだな」
「そんなに酷い傷なのか。肩を貸そう」
「いや、いい。治りかけだからそう酷くはない」
「そうか……だが何か手伝おう」
不機嫌なままの名前は、それを聞いてひとつ溜息をつくと、湯を沸かして部屋まで運んでくれ、とだけ頼んでおく。
「それにしても。怪我をしているなら、無理に相手を務めずとも良かっただろうに。一人でも鍛錬はできるぞ」
名前の剣を受け取りながらジークフリートが言うと、名前はまさに「何を言っているんだお前は」という目をした。実際に口にも出した。
「何を言っているんだ?お前を一人残して家を出て、帰ってみれば中庭の植木が何本も無惨な姿になっていたのを私は忘れていないぞ。一人で鍛錬などさせられるか」
「……あれ以降やたら手合わせが増えたと思ったが、そういうことか」
「はあ……私の身体を気遣うなら、その前に人の家も心配してくれ。今の立場上お前が自由に出歩けないのは、私としても悪いと思っているが、とはいえここは練兵場じゃない。私が相手をしていなかったら今頃中庭は荒れ野だぞ」
ジークフリートは何も言い返せなかった。先程からやたらと名前の機嫌が悪かったのは、これもあったからなのだろう。気付くならもっと前に気付けと言いたげだ。だが名前も、こいつはそういう男だったというのはわかっている。少し肩をすくめて釘を刺し、それで手打ちだと笑ってみせた。
「そういうことだから、まあ、できるだけ自制してもらえると助かる」
ジークフリートが湯と、湯に浸けて固く絞ったタオルを運んで来ると、名前はまさに包帯を解いて傷口に当てられたガーゼをそろりそろりと剥がしているところだった。傷が開いたと言っていたのは正しかったようで、ガーゼは血まみれでシャツにまで赤が染みている。タオルを手渡しながら、ジークフリートは思わずその傷を凝視した。
それは、純白の清冽な騎士に似合わない、醜く大きな傷だった。
「斬られたのか。斬られたというより、抉られているが。お前ほどの騎士にそこまでの傷を負わせるとは、相手はさぞかし強かったのだろうな」
「……3ヶ月前だ」
聞かれるだろうと覚悟していたような声音で、返答になっているともいないともとれる言葉が返ってくる。ジークフリートも聞かれたくないというのは察したが、興味もあった。なにせ、名前はアーカントで最優と名高い騎士なのだから。
「3ヶ月前にしては治るのが遅いな」
「再生を優先して治療魔法を受けているからな。そのせいで傷口が閉じにくいらしい。それに今回のように動いてしまうことも多いから」
別にこれが初めてではないと、事もなげに名前は言う。職業柄、痛みに慣れているとはいえ、まだ塞がっていない傷は見るからに痛々しい。鉄錆の臭いが鼻をついた。
雑談も挟みながら、それでもジークフリートの興味――というより、もやもやとして釈然としない思いは尽きない。傷を受けたことも、今こんな状態でいることも、彼の知る名前とは少し違っている気がするのだ。
「……なぜそんな状態で治そうとしているんだ。魔法治療を受けているなら消せるだろう、その傷。そのままだと跡が残るぞ」
「――そうだな。だが消す気はない。これは私の覚悟でもあるから」
「覚悟?……そうか」
名前は、傷を負ったのは3ヶ月前だと言った。そして覚悟、という言葉。――確か、この国に新王が起ったのも3ヶ月前だったか。そこまで考えて、何となく腑に落ちた。アーカントは長く内乱状態にあったのだから、彼女なりにいろいろな葛藤があったのだろう。ジークフリートはそう結論づけた。これ以上詮索するものでもないだろう、と。
「ああ……違うな。祝福……だよ、これは。新しく生まれ変わった国への、祝福。だから消すわけにはいかない」
ジークフリートが一人納得しかけたところで、名前の声が思考を揺らした。いつもよりも低く掠れた声だった。思わず傷ではなく名前の顔を見やる。常ならは閃光のように強い光を湛えている名前の瞳が、ここではないどこかを見つめるような空虚さで揺れていた。
しかしそれも一瞬のことで、その明るい緑の瞳が明確にジークフリートを映す。いつも通りの強い瞳だったが、刹那、諦めと憧憬が瞬いたように見えた。
それに気付いたジークフリートが何も言わなかったのを、肯定や許可と捉えたのかもしれない。一瞬で消えた様々な光とは対照的に、もはや隠す気もなくなったのか、名前は痛そうに顔をしかめながらソファに座り直した。そして、胸の奥につかえた澱を吐き出すかのように、あるいは観念するかのように大きな溜息をつき、そして語り出した。
名前・苗字がヤニク・シャルダンを討った、あの時のことを。