ジークフリートさんが夢主に怒られる話
死に急ぎ野郎なジークフリートさんを夢主が怒る話。
「その時は私が止めを刺してやるさ」
グラスを傾けながら、名前は事もなげに言った——わざとそういう言い方をしたのかもしれない。全く当然のことで取るにも足らない、とでも言うように。
「そうか——ありがとう」
ジークフリートはふっと息を吐きながら安心したように笑みを零した。一度は敬愛する前騎士長を討った女だ。これほど安心できることはない。
それを横目で見た名前はというと、先ほどの調子とは一変、彼女らしくもなく音を立ててグラスを机に置くと、椅子ごとジークフリートに向き直り告げた。
「自惚れるなよ、ジークフリート。お前が人だろうがそうでなかろうが、私や、我が国の敵となるなら、私は容赦も慈悲もなくお前を討つぞ。逆に、人でなくなったお前が私にとって利用価値のあるものだったなら……その時はあらゆる手を使って生き延びさせるかもしれんな。
——自分の命や価値を、他人に押し付けるな。簡単に終わらせてもらえるだなどと、虫のいいことを言うのはやめろ」
それだけ言うと、名前は足音も高く席を立ってしまった。
「自分の命や価値を他人に押し付けるな、か……」
氷が溶けて、かなり薄くなった酒を一気に煽る。以前、名前がアーカントの前騎士長……ヤニクを討った時のことを聞いたことがある。名前もヤニクも、そうなることは織り込み済みだったようだ。国にとって必要な一種の儀式であったし、名前にも後悔はない。あれは、国のためなら全てを捨てられる騎士なのだから。
だがそれでも、私人としての、ヤニクを敬愛した名前も確かに存在したのだ。先ほどの言葉は名前のめったに見せない、個人的な、一国の騎士長という肩書きも何もかもを外した友人としての言葉だったのだろう。
酒場の熱気から離れてみると、火照った思考も落ち着いた。あんな風に腹を立てるつもりはなかったし、ましてや席を立とうだなんて思ってもみなかった。
ただ、無性に腹が立ったのだ。自分の命の終わりを、あんな風に穏やかに笑って受け入れてしまったあの男に。
ジークフリートの行動も心情も痛いほどに理解できる。自分自身が守るべき国の敵となるのなら、いっそ殺してほしいと名前も思う。思うからこそそうならないように生きているのだ。
それに、もちろん、公人としても私人としてもジークフリートを、あれほどの男を討ちたいとは思わない。そうしなければならない場面が来れば、自分で言ったように名前は躊躇なくジークフリートに相対するだろうが、そうしたいかどうかという感情面では別だ。あれは得難い騎士であり、理解者であり、友なのだ。
ジークフリート自身も、積極的に死を望んだりはしないだろうし、国と、亡くした前王のために生きる道を――自分が祖国の敵とならない方法を――模索し続けている。それは名前にも伝わってくる。だというのに、あまりにも簡単に命を粗末にするのだ。それは叱りたくもなるだろう。
名前は、先程の怒りをそう結論づけた。
幾分すっきりとした頭で宿に戻り、明日にでもあんなに感情的になってしまったことを謝ろうか、と考えながら、名前は髪を解いた。
――自分でもついぞ思い至らなかったが、彼女が怒りを感じた理由は他にもあった。
名前が最も恐れるのは、老いることだ。思うように体が動かせなくなり、国を守れなくなることが最も恐ろしい。
しかし、国を守るという職務を全うしてアーカントの行く末を見守るということ、それはつまり”無様な老後”が始まるということだった。破滅願望があるわけではない。ただ、何もできずに老いていくことを想像するのが堪え難いのだ。
そんな時に、ジークフリートはその恐れをいとも簡単に解決できると示してしまった……彼女の双肩にかかる責任、立場もろもろからすれば、口にすることなど絶対にできない方法だった。
名前の怒りは、自分を出し抜いて答えを見つけられたような、あるいは先に迷路の出口を見つけられたような。そんな一抹の悔しさと寂しさが混じった怒りだったのだ。
――尤も、名前がそれに気付くのは、もう少し後になってからだ。