Die Blaue Nacht

知らなければよかった

愛し愛される関係になるまであと一歩くらいのところ。

 夜半、不意に目が覚める。
 横を見やると、自身の妻が静かに眠っている。緩く束ねられた黒い髪の間に、白い首筋が覗いていた。
 
 ”ウェールズ家の当主の妻”という、ただその地位にあったがために名前が狙われた襲撃のあと、不安で眠れない日々が続いたため、アグロヴァルが名前と寝台を共にするようになった。それもいつの間にか、結構な日数が経っている。
 とはいえ、同じ寝台で眠るだけで夫婦らしいことは何もない。アグロヴァル自身、世継ぎが必要だということは分かっているが、世継ぎができることで名前が権力を得るということに対して未だに決心がつかないでいるし、名前に至っては、自分のわがままで夫に無理を強いていると思っているのか、いつもアグロヴァルに背を向けて眠っている。曰く、「隣にいてくださるだけで安心できます」ということではあったが。

 ほんの少し身じろぎをして、眠る名前が長い息をつく。それを見ていたことに後ろめたさを感じてしまい、アグロヴァルは何とはなしに目を逸らす。その目線の先には暗いビロードの天蓋があるだけだった。
 天蓋に閉ざされた寝台の上、肌が触れているわけではないが、隣で眠る妻のゆるい温もりが伝わってくる。それがさらに、相手と自身の間にある間隙を際立たせた。そのせいで、思考は自然と名前に向かう。
 自分は善人などではない、自分にも背負うものがあるのだと微笑む姿。
 背を向けて眠る肩の線の細さ。
 それを思い出して浮かぶものを、情などと言ってしまえば簡単だった。いっそ、それ以上の感情など知らなければ、気にかけることもなかったのだ。しかしアグロヴァルは、幸いにも――あるいは、不幸にも――人が人に抱く想いというものを知っていた。
 
 望むと望まざるとに関わらず、その女は――名前は、アグロヴァルの内側にじんわりと入り込んだ。それまで、彼の内側を満たすのは彼が自ら選んだものだけだったはずなのに。名前に関しては、夫婦という関係性があったにせよ、ことさらに彼が選んだわけではない。なのにどうしてだか……名前の魔力も影響したのかもしれない。ともかく、ひたむきに夫に寄り添おうとした名前が、硬く冷たい氷で武装したアグロヴァルの心をほんのりと溶かしだしたのは確かだった。最初の1滴は小さく、しかしそれが呼び水となり、”誰か”を受け入れる隙間を作ったのだろう。
 それは少しずつ大きくなり、そして、一度大きくなってしまった器は、もう元の大きさになど戻りようがないのだ。

 夜半のぼんやりとした思考に身を任せながら、アグロヴァルは隣で静かに眠る細い体を引き寄せようと手を伸ばしかけ――しかし躊躇うようにその手を止めた。最初に拒んだのは彼自身だ。遠ざけておいて、気がつけば求めようとするなど、虫が良すぎるではないか。
 行き場をなくした手で、名前の肩が出ないようブランケットを引き上げると、アグロヴァルは深く息を吐いて目を閉じた。