Die Blaue Nacht

嵐の夜の秘密 Another

嵐の夜の秘密の別視点ver、アグロヴァルお兄様夫婦視点の話。パー様の恋人は出ません。
※人前で髪を解く・脚を見せるのははしたないとされる世界線
※珍しく遊び心満載なお兄様

タイトルはこちらからお借りしました。
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 雷鳴が轟き、左腕にかけられていた名前の右手にぎゅっと力が入る。突然だったこともあるのだろう、小さく悲鳴を上げて、彼女の体が強張るのがわかった。
 流れるような仕草で、アグロヴァルは縮こまる名前の身体を抱きしめると、安心させるようにそっと耳元で囁いた。
「ここにそなたの恐れるものなど何もないだろうに」
 言いながらアグロヴァルはふと思い付き、手のひらで名前の両耳を塞いで口付けた。こうしていれば雷の音など聞こえまい、と。
 夫の思惑通り、耳を塞がれてキスをされた名前は、まさにキスの音しか聞こえなくなってしまった。何とも言えないその感覚に小さく身を震わせ、しかしすぐに体の力を抜いてアグロヴァルに身を任せた。任せてしまえば夫の香りと温もりに包まれる安心感に泣きそうなほど幸せを感じて、名前は夢中でアグロヴァルの背に腕を回してしがみつく。夫に愛されていると否応なく思い知らされる時というのは何度もあるが、その度に名前は幸せで胸が苦しくなるし、その感覚が褪せることもない。いつだって新鮮で懐かしくて狂おしいその感情が、幸せそのものなのだと名前は思っていた。
 名前が抱きついてきたと同時に、アグロヴァルも彼女の耳から手を放し、華奢な体を覆うように腕を回す。抱き付かれ、そして抱きしめれば、名前の唇から安堵とともに吐息が溢れた。それを逃すことなく全て受け止めると今度は甘えるような声を出すものだから、アグロヴァルも楽しくなってしまう。少しだけで終わろうと思っていた口付けは、名前の反応を楽しむように角度を変えて何度も何度も繰り返された。最後に唇の端にキスを落とされ、そして少しだけ離れる。今にもまた唇が触れそうで――今この瞬間、世界にはただ二人しかいないような心地だった。

 満足したアグロヴァルが微かにほほ笑むと、名前が恥ずかし気に顔を逸らす。
 その顔は疲れているのか暗い照明のせいなのか、それともまだ雷が怖いのか、少し顔色が悪く見えた。ゆらめく明かりのせいで彼女のまつ毛の影が黒々と伸びていて、やたらと儚くやたらと艶めいている。
 アグロヴァルが思わず顎に指を添えて顔を見ると、深い青の瞳と目が合った。いつでも彼を見ていて、そして同じものを映そうと努力する瞳だ。その眦にやはり少し疲れを見て取って、アグロヴァルはそっと妻の輪郭をなでた。
 パーティの準備や何やらで、最近は二人でゆっくりと過ごす時間が取れていなかった。書類の処理に陳情対応、視察、会議。アグロヴァルはアグロヴァルで忙しく、今夜のパーティの段取りはほぼすべて名前に任せてしまっていた。任された名前の方も、招待客リストの作成に招待状の送付、料理の段取りに席順の確認……と、多忙な日々を過ごしていた。それが今夜でひと段落して――アグロヴァルも名前も互いの体温に気が緩んだのだろう。廊下だというのに我慢ができずに、少しの思い付きが重なって抱き寄せてしまえば止められずそのまま口付けてしまった。結局同じ寝台で眠るというのに互いに離れがたくて仕方がない。
 と、その名残惜しさを示すようにアグロヴァルの手が動き、名前の髪飾りを一つするりと抜き取った。あとを追うように、留められていた黒檀の髪がはらはらと落ちる。
「アグロヴァル様! こんな、廊下で……」
 さすがに名前が声を上げる。相変わらず、声と共に動く空気が相手の唇に触れる距離だ。その感触を楽しむように、アグロヴァルが囁いた。
「もう、あとは解くだけであろう? ……しかし、そうだな。妻のそのような姿を晒すわけにもいくまい。早く部屋へ戻らねばな」
 それを聞いて、何か思い出したように名前が唇を尖らせる。自室でもないのに髪を乱されるのはさすがに褒められたことではないが、彼の思惑に気付いたのだ。ハンカチなり、装飾品なり、自分の身に着けているものを意中の相手に渡すのが、若い貴族たちの間で流行っていると聞く。「きっと返しに来てくださいね」――つまり、また会いたいです、という遊びだった。名前もそれを思い出してくすくすと笑う。
「後で返しに行こう」
「ええ、お待ちしておりますね」
 そっと耳元で囁いて今度こそ体を離すと、名前の手を取るのではなく腰に手を回し、アグロヴァルは寝室へ続く廊下を歩き出す。
 名前はいつの間にか、雷の音など少しも気にならなくなっていた。