Die Blaue Nacht

嵐の夜の秘密

アグロヴァルお兄様夫婦の話ですが、「パーシヴァルの恋人」視点です。アグロヴァルお兄様夢主のほか、「友人の名前」はパー様の恋人として名前変換できます(「友人の愛称」にも入力してください)。
タイトルはこちらからお借りしました。
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お兄様たちは安定のお砂糖期。

「わたくしの役目……それはもちろん、ウェールズ家の血を引く子を産むことですよ」
 それを聞いた時、背筋を冷たいものが走ったのを覚えている。お茶をしていた相手――名前が、微笑みながら当然のように言うものだから、さらにぞわりとしたのだ。
 幸せだとは言っていた。しかし友人の名前て何も知らないわけではない。結婚当初、アグロヴァルと名前はまさに”政略”結婚を体現した生活をしており、最低限の会話しかしていなかったらしい、というのは周知の事実でもある。だから、名前がにこにこと「幸せですよ」と言ったところで、はいそうですかと信じられるものでもない。尤も、今はよく二人で過ごしているようだし、あながち嘘というわけではないらしいということもわかっている。……名前の言葉が小さく友人の名前の中で引っかかっているのも、そういう様々な事情を少しずつ知っているからかもしれない。

* * *

 ウェールズ領内の名士たちを集めたパーティーは盛況だった。開始後すぐに雨が降り始め、雷も盛大に鳴っていたが、城内のホールの喧騒や温かさに、天気を気にする者はいない。
 友人の名前もパーシヴァルと出席していて、まだまだ不慣れではあったが出席者と談笑を交わしている。少し疲れてきたところであたりを見渡すと、主催者であるウェールズ家当主夫妻が見えた。二人ともにこやかに招待客と接している。とはいえ隙があるわけでもない。友人の名前は、アグロヴァルの笑った顔をしているのにどこにも柔らかさのないその表情が苦手だったが、そばに寄り添う名前の柔和な微笑みが、アグロヴァルの氷のような冷たさを緩和しているのかもしれないとは思う。そういう意味では、彼らは結構相性が良いと言えるのかもしれない。そうしていると、ふとこちらを向いた名前と目が合って、やはりにこりと微笑を向けられた。つられて会釈を返したところで、近くにいた別の客に話しかけられたので……名前たちのことはいったん頭の片隅に追いやって、今夜の任務、つまりホスト側としてパーティー客をもてなす”作業”に戻っていった。
 
 宴が終わり、招待客を全て見送ると、途端に嵐の音が大きくなった。嵐が強くなったわけではなく、華やかな人々と喧騒がなくなった城内には、雨音と雷鳴がやけに響いている。パーティの熱気で少し火照った体には、雨音と冷えた廊下が心地良い。友人の名前は笑顔の作りすぎで少し引き攣った頬を両手でさすりながら、部屋へと戻る途中だった。ずっと一緒にいてくれたパーシヴァルは、少し用があるからと先ほど別れたところだ。とはいえ眠るベッドは同じなのだから、ほんの一時の別れではあったが。
 しばらく歩いていると、廊下の先に人影が見えた。ちょうど灯が照らした人影は、連れ立って歩くアグロヴァルと名前だった。他に誰もいないのに、完璧なエスコートだ。この期に及んで抜かりのないことだな、などと思いながら、わざわざ追いついて話しかけるようなものでもないので、友人の名前は距離を保ったまま二人の後ろを歩いていた。私室のある区画は同じなのだから、自然とそうなるのだ。 
 その時、大きな雷鳴が響いて、名前が小さな悲鳴を上げてその身を縮こませた。
 それに気づいたアグロヴァルは、名前の耳元に唇を寄せて何か囁いたかと思うと、両手で彼女の耳を塞ぎ、次いで口付けた。角度を変えて何度も。廊下だというのにお構いなしだった。しばらくそうしていると安心したらしい名前がアグロヴァルの背に腕を回す。同時にアグロヴァルも、耳を塞いでいた両手をずらし、名前を抱きしめる腕に力を込めた。ただでさえ近かった二人の体が、さらに密着する。息遣いすら聞こえてきそうだった。

 ――見てられない。
 慌てて目を逸らし、とりあえずそばにあった置物の陰に身を潜めた友人の名前が最後に見たのは、まさに幸せそのものとでも言いたげな表情で目を閉じる名前だった。
 ……自分の視力の良さを呪いたくなった。自分は何も悪くないのに、とっさに隠れてしまったのもなんだか解せない。ついでに気配を感じさせなかった自分と(もはや癖なのでどうにもならない)、足音を全て吸収してしまう毛足の長い絨毯も呪っておいた。
 
 ……が、見るべきではないものほど見たくなるのも人間の性である。
 隠れた置物の影からそっと覗いてみれば、やっと少しだけ、ほんの少しだけ離れた二人が、それでも今にもまた唇が触れそうな距離で何か話しているのが見えた。ごく小さな声で囁き合っているのか、内容は全く聞こえなかったが、名前がくすくすと小さく笑っているのが見えた。同性の友人の名前から見ても可愛らしい仕草で、これは何というか……愛されているとか、恋をしているとか、そういう形容をされるような幸せいっぱいの女の子の見本といった調子だ。
 友人の名前が驚いたのはアグロヴァルの表情だった。彼も少し微笑んでいるようだが、この程度であればむしろ公務中の方がよほど”笑った”顔をしている。だというのにこの雰囲気の柔らかさはなんなのだろう。話が終わったのかもう一度耳元に唇を寄せ、そして離れた時のアグロヴァルの表情はとても穏やかで満ち足りていた。あの氷皇がそんな表情をするだなんて、知らなかったし想像すらしたことがなかった。これまでアグロヴァルから物理的にも心理的にも見下ろすような冷たい視線しか受けてこなかった身からすれば当然ではあるのだが、この一部始終を見せられては友人の名前も納得するしかなかった。……この二人、本当にお熱い夫婦なのだ、と。以前名前が言っていた「幸せですよ」はなんの誇張でもなく、惚気ですらなく(もちろん惚気ではあるが)ただただ事実なのだ、と否応なく理解した。

* * *

 二人が歩き去った後も、ふわふわした空気が残っているかのようだった。
 名前の方は、まあなんというかわかる。しかしまさかあのアグロヴァルがこんなにも……ピンク色の空気を纏っているだなんて。穏やかでいて、少し熱のこもった表情は、紛れもなく名前への愛情を伝えていた。公務中はそういうそぶりを全く見せないから全然わからなかった。公私を完全に切り分ける人なんだろうなと思ってきたしそれは間違っていないのだが……まさか、こんなにとは。
 私的な時間に、たった一人にだけあんな表情を見せる。そんなの、愛情を向けられる側からすれば幸せ以外の何物でもないだろう。
 
 ――とんでもないものを見てしまった。
 友人の名前は物陰から動けないまま、大きくため息をついた。
 そうしていると、不意にパーシヴァルが脳裏に浮かぶ。彼だってそうだ。彼にだって、自分にしか見せない姿があることを友人の名前はもう知っている。
 例えば……と勝手に思考を続ける自分に気付くと、途端に恥ずかしくなった。思わずぶんぶんと頭を振って――
友人の名前?」
 突然至近距離で話しかけられて、友人の名前は文字通り飛び上がった。
「パーシヴァル!」
「どうかしたのか」
「え、あの、いえ別に……ちょっと熱気に当てられたというか」
「?……そういえば少し顔が赤いな」
 もう一度足音の立たない絨毯を呪いながら、思わず突然現れたパーシヴァルに言い訳じみた言葉を返してしまう。
 パーシヴァルはというと、用事を済ませて部屋に戻ろうとしたら、友人の名前を見つけて声をかけたというだけのことだ。なのにあからさまに相手が挙動不審なのだから気にもなる。少し目を細めたパーシヴァルを見て、ああこれは納得するまで聞かれるやつだ、と友人の名前は察した。
「いやあの……アグロヴァル様と名前様、幸せそうだなって」
 とはいえ、先ほどの一部始終を話すわけにもいかず、もごもごと言い募ると、歯切れの悪さを断ち切るように「友人の愛称」と呼ばれた。ほら、敢えてそういうことをする。ここは誰かが見ているかもしれない廊下だというのに。
「何か不満でもあるのか」
「えっ?……あっそういうのじゃなくて!不満なんてない!」
 それを聞いたパーシヴァルが、それなら良いと満足そうに口角を上げる。
 
 そういうところ、さすが兄弟と思わずにはいられなかった。