瀬名泉が彼女の誕生日をお祝いする話
タイトルそのままです。
「はい、プレゼント」
誕生日おめでとう、の言葉と共に渡された紙袋。手触りのいいそれには金色の箔押しでロゴが刻まれている。街を歩いていてもよく見かける超有名コスメブランドの、季節限定のショッパーだった。
「え、ありがとう! これあそこのだよね!? 開けていい?」
「いいよ、むしろそのために今渡してるんだから開けてみて。色合わなかったらちょっと考えるから」
色?と思いながら、名前は紙袋のテープを切って紙袋を覗き込んだ。高級感のあるパッケージと、目を引くピンク色。店頭でも口コミサイトでも大人気のリップグロスがころんと寝転んでいる。
「泉くんこれ! すっごい話題のやつ! お店とか行っても売り切れてるやつ!」
ぱっと顔を上げて、名前が驚きながら報告してくる。選んだのは泉自身なので驚きはないが、相手がこれだけの反応を見せてくれるのは素直に楽しい。
「そ。この間の撮影で見かけて、名前に似合いそうだなと思って。ちょうど誕生日プレゼント探してた時だったし」
「ありがとう泉くん! 気にはなってたけどちょっと高いし、自分で買おうとは思ってなかったんだよね。えぇーかわいい! ラメいっぱい入ってる!」
名前はコスメに目がないとか、話題のものは即手を出すとかそういうタイプではないものの、これはあまりにも巷で話題になっているので気にはなっていたらしい。紙袋から取り出して、いろいろな角度で眺めている。泉にとっても、自分がそういう仕事をしているのもあるが、他でもない身につけるものを贈って喜ばれるのは気分がいい。
「泉くんの見立てた色だから大丈夫だと思うんだけど、結構ピンク鮮やかだよね。いけるかな」
「そうやって見ると濃いけど、シアーな発色だから。見た目ほどきつくはならないよ」
泉が言うのを聞きながら、名前はキャップを開けて手の甲に少しだけ色を乗せてみる。彼の言う通り、塗ってみると濃すぎず絶妙な色合いで、ぎっしり詰まっていたラメも細かくちらちらと上品に瞬いている。
「ねえ泉くん、これほんとかわいい……ほんとありがとう……」
「俺が選んだんだから。間違うわけないでしょ?――せっかくなんだし、唇につけてみてよ。ていうか塗ってあげる」
え、いいの、と言いながら、名前は素直に頷いて泉の方に向き直って居住まいを正した。グロスを受け取った泉は特に深く考えもせず名前の顔を固定しようと手を伸ばしかけ……何かに気付いたように手を止めた。――このシチュエーションはちょっとやばい。
「どうかした?」
彼の躊躇に気付きもせず、名前が少し首をかしげる。本当に何にも気付いていない顔だった。
「……別に。気が散るからちょっと目瞑ってて」
一瞬目を閉じ、そっちが気づいていないならといろんなものを飲み込んで泉が言う。押し込めた感情のせいで、そっけないともとれる声音だったが、名前にしてみればメイクにもこだわるプロだからそんなものか、と思う程度だった。やはり素直に目を閉じる。
焦ったのは泉の方だ。照れ隠しのように目を瞑ってと言ってはみたものの、いざ目を閉じられてしまえばこれはもうまごうことなくキスを待つ顔にしか見えなくなってしまったのだ。
――あー、もう……!――
グロスなんて塗らずにキスすることだってできる。左手を添えて、ちょっと顔を傾けて。そうしたらすぐだ。しかしただ純粋にプレゼントを喜んでくれ、全部を泉に任せてくれている名前を前にして、不意打ちのようなキスをする気にはなれなかった。キスしたい、のも本心ではあったが。
またしてもいろいろなものを飲み込んで、泉はチップについたグロスの量を調節し、左手で名前の顎を少し持ち上げる。強すぎないようチップを名前の唇に押し当てて、優しく丁寧に塗っていく。(グロスを塗るのだから当たり前なのだが)途中で名前の口が少し開いたのにも煽られつつ、プロとしての矜持を総動員して美しく仕上げていった。
「できた」
そう声をかければぱちりと名前が目を開けて、スマホのインカメラで自分の顔を眺める。少し左右に頭を振って全体を確かめ、もう一度泉のほうを向くと、満足そうに笑って見せた。
似合ってる、と言おうと思ったのに。つやつやに彩られた唇で笑いかけるものだから。
ひとつ溜息を落として、泉はさっきやろうとしてやらなかった想像を行動に移すことにした。
左手を添えて、少し顔を傾けて、名前が逃げないうちに。
「泉、くん、」
離れてみると、思った通り目を丸くする名前がいた。いつもなら必ず目を閉じるのに、その暇さえなかったらしい。
「――あんたさあ……」
男が口紅を贈る意味くらい、すぐに気付いて欲しい。
さらりとしてべたつき感の少ないグロスはバニラの香りがした。