Die Blaue Nacht

5分後の未来へ駆ける

瀬名泉が夢主に告白する5分前。
時点はズ!の返礼祭。

夢主の友人として「友人の苗字 友人の名前」が出てきます。設定としては鬼龍紅郎夢主ですがこの話ではそこは関係ありません。

「あ、もしもし。友人の苗字です」
「……は?」
 画面に表示された名前とは違う声に、苛立った。

* * *

 親友が、人目も憚らず大泣きしている。
 まさしく前後不覚とでも言おうか、手を繋いでいなければまっすぐに歩けないくらいに泣いている。

 毎年恒例、3月に行われるアイドル科の返礼祭。ホワイトデーに合わせて行われれる、バレンタインデーのお返しという位置づけのライブではあるが、実質3年生の卒業公演だ。
 思い返せば高校生活3年間、いろいろなことがあった。友人の名前名前と一緒にいることも多かったので、一緒に過ごした思い出はもちろんたくさんある。とはいえ全てを共有しているわけではなくて、友人の名前には友人の名前の、名前には名前の3年間があった。名前にとってその集大成の一つが、今日のKnightsのライブだった、ということだ。この3年間に起こったアイドル科での様々な出来事は、関わり方は違えど友人の名前にも名前にも大きな影響を与えていたが、ことKnightsに関する紆余曲折は名前にはよほど重大だったに違いない。何といっても、幼馴染と片想い相手が、その深くに関わっていたのだから。
 
 ――チェス、解散するんだって。
 ――内部分裂らしーじゃん。怖〜。
 ――月永レオ、怪我したらしい。
 ――それに今学校来てないんでしょ、病んだとかって。
 ……こんなものは序の口だった。Knightsや月永レオ、瀬名泉に関する噂は音楽科にも届いていて、それらはある種のゴシップとして他科の生徒たちの話の種になっていた。しかし、友人の名前を含め、大半の生徒たちよりもずっとずっと近くでその全てを見ていた名前は、そんな噂をどんな思いで聞いていたのだろう。
 守ろうとしながら傷つけあってきた日々があって、絡んでぐちゃぐちゃになった糸を少しずつ解いて。そしてそれがついに今日、全てあのライブで報われた。感極まるのもわかるというものだった。
 
 終演後の名前は大泣きしながらしゃくり上げて、息ができないんじゃないかと心配になる程だった。ひとまず落ち着ける場所へ行こうと、友人の名前名前の手を引いて音楽科の練習棟へ向かう。名前が3年間ずっと使ってきた練習室に入ると、名前を椅子に座らせて背中をさすってやった。先程から名前は、一旦落ち着きそうになってはその度にライブを思い出してしまうのだろう、一度止まった涙が乾く暇もなく新たに涙を流し続けている。一度堰を切って溢れてしまった涙は、本人にもどうにもできないようだった。
 ふと、友人の名前は自分の腕時計を見やる。18時前。彼女らしくもなく、友人の名前は一瞬、どうしようと途方に暮れた。ピアノのレッスンがあるのだ。月に一度、遠方から先生を呼んでいる回だから、休むことなんてできるわけがないし、その選択肢も友人の名前にはない。多分、名前も後で友人の名前が休んだだの遅刻しただの聞いたら怒るはずだ。とはいえ、今の名前を放っておけるはずもない。こんな状態の親友を放置した上に「じゃああとは一人で帰って」なんてもってのほかだ。
名前、スマホ借りるね」
 少し考えて、友人の名前名前の鞄からスマホを取り出した。自分が無理なら、誰かに迎えにきてもらおうと思ったのだ。名前に一応声はかけたが、返事は期待しない。
 連絡先を眺めて、月永レオの番号を探す。名前がまず頼るとしたら彼だし、確か彼なら名前の家も知っているから送り届けてくれるだろうと思ったからだ。レオの電話番号を見つけて電話をかけようとして、連絡先情報に付け足されたメモが目に入った。
『レオくんに繋がらない時は、瀬名くんに電話』

* * *

「あ、もしもし。友人の苗字です」
「……は? なんであんたが」
 画面に表示された名前を見て、心臓が跳ねる。ライブ中、ステージから名前の姿は見えていて、名前が途中からペンライトも振らず、両手で口元を覆っていてどうやら感極まっているらしいということもわかっていた。それでこのタイミングの着信とくれば、きっとライブ良かったよとか、そういう話なんだろうと思った。こういう時名前は大抵レオに連絡するので、あえて自分に電話をかけてきてくれているというのがくすぐったくて、嬉しくて。
 
 ――だというのに。
 少し緊張もしながら電話に出てみると、聞こえてきたのは名前ではなくその友人の声。「は?」と言いたくもなる。
名前、ちょっと今話せる状態じゃなくて。瀬名君に頼みたいことがあるんだけど、いい?」
 泉の一気にボルテージの上がった苛立ちなど気にも留めず、友人の名前はすぐに要件を切り出した。泉も苛ついてはいたが、友人の名前の「名前は話せる状態じゃない」も気になってしまい、通話を続けることにする。それを狙っていたんだろうなとわかってまた苦々しく思ったが、同時に泉は察してしまった。ああ、こいつ多分いろいろ知ってる、と。
 
「話せる状態じゃないってどういうこと。俺に頼みたいって何」
名前、Knightsのライブ観て感極まっちゃって大泣きしてるの。ちょっと落ち着いてきたけど、まだ一人で出歩けるような状態じゃなくて……瀬名君、迎えにきてあげてくれない?」
「……なんで、俺に」
名前の携帯に瀬名君の番号があったから、瀬名君に頼むのがいいのかなと思って。……月永君の方が良かった?ならそれでもいいけど」
 確信犯だった。ここへきて、そうやってレオの名前を出すなんて。そんなふうに逃げ道を残すなんて。
 一瞬だけ逡巡して、泉は決めた。
「――いや、俺でいいよ。俺が行く」
「……ありがとう。名前、いつも使ってる練習室にいるから」
「すぐ行く。苗字に、5分で行くから絶対そこから動くなって言っておいて」
「わかった。瀬名君、あとよろしくお願いします」
 そうしてあっけなく切れる通話。スマホは何事もなかったかのようにいつもの画面を映すだけだ。きつく目を閉じて、ゆっくり開く。5分と、そう伝えたのだ。
 早く行かなければ。
「なるくん。打ち上げ土曜って言ってたよねえ。時間と場所決まったら教えて」
 泉は近くにいた嵐にそれだけ言い残してスタジオを後にした。

* * *

 友人の名前があえて他の誰でもなく泉に連絡を寄越したのもそうだが、友人の名前が最後に言った「よろしくお願いします」がやけに耳に残って、お膳立てされているのなんて嫌でもわかった。しかし天邪鬼な彼に似合わず、今日は、今日だけは素直に友人の名前に感謝しようと思えている。おそらく、あのライブの高揚の名残がそうさせているのだ。感謝と、愛情と、未来に溢れたあの返礼祭。
「はあ……っ」
 一人になった途端、胸の奥で蝶が羽ばたくような焦燥に駆られて、知らず知らずのうちに駆け足になる。手のひらがじんわりと熱い。手のひらだけじゃない。全身が胸の奥の蝶の羽ばたきとともに暖かくなって、抑えられない熱を呼気として吐き出した。それでも足は止めない。
 点々と灯りが点る校舎を抜け、アイドル科と音楽科を繋ぐ渡り廊下を超えて。名前と話すようになってから幾度となく通った道を、じれったい思いで駆けていく。

* * *

 学年末も迫ったこんな時期のこんな時間にわざわざ練習室を使う生徒はいないのか、練習棟は薄暗い。じわりと痺れるような熱を持て余したまま、早足でいくつもの部屋を通り過ぎていくと、練習室から――名前のいる練習室から、廊下に灯りが漏れているのが見えた。
 今すぐに駆けつけたいと思いながら、裏腹に泉は足を止めた。予感があった。予感なんてものじゃない、確信だ。友人の名前からの電話を受けた時からわかっていたことだ。蝶の羽ばたきは今や彼の胸の中で嵐を起こしていて、ざわ、と鳥肌が立つような、武者震いのような感覚が体を駆け抜けた。
 火照るような熱を少しでも落ち着かせようと深呼吸すると、窓ガラスに映る自分の顔と目が合った。いつも通りの強い眼差しが、いつもより熱を込めて見返してくる。
 一度強く拳を握り、そして開くと、泉は練習室まで数歩の距離を埋めて、部屋の扉に手をかけた。

 
苗字、……いる?」


5分後の未来に駆ける

「あれ、セナは?」
「今急いで出ていきましたよ」
苗字って言ってたわよねェ?」
「セッちゃんもようやく観念する気になったってことだよね」