Wanderkinder im Wunderland 終
18歳未満の方は閲覧禁止です。
「Wanderkinder im Wunderland」の最後の部分。
直接的な描写はないですが若干暴力的だったり致してたりするのでR-18としています。
ぜーんぶすっ飛ばしてラストシーンだけ書いてしまったので供養。そのうち前段も書きたい。
2人ともそれが「愛」と気付いてはいないし(もっと美しくて尊いものだと思ってそう)、多分この時点でカイザーは夢主を「俺の◯◯」とは呼ぶけど「愛しの◯◯(liebe ◯◯)」とは呼ばない。
「もう、マリアって呼ばないのね、ミヒャエル」
「お前はどうやら聖女じゃないらしいからな。それにお前もそうだろう。俺は天使じゃなかったのか?」
「ええ……そうね、私も、あなたが天使じゃないってわかったから」
カイザーが日本から帰ってきてから、二人の関係は小さく、しかし明確に変化した。帰ってきてから変化したのではなく、日本とドイツで離れている間に、どちらも心境の変化があったと言った方が正しい。カイザーはというと、自身を再定義するような機会があったのだから、当然のごとく名前に対する感情も変化した。変化したというより、敵意もなく自分の激情を受け入れてきた名前の価値……というより特異性に気付いたし、そう自覚するともっと欲しくなった。そして、これまで自身が名前に感情も何もかも与えてきたのだから、ということはあの女も自分と同じ感情を抱いているのだと確信した。
であれば、彼女が聖女であるはずがない。自分のような存在が満たして作り上げたものが、聖女なんかであるはずもなく、むしろ自分と同等の存在なのだ。
いつもそうやって会っていたように、ホテルで待ち合わせた。別にホテルでなくとも良いのだが、他人の目がないところとなれば必然的に場所は限られる。カイザーとしては、自分が名前に対してしていたことは一般的に相手を傷つける行為だとわかっていたから、そうなるとホテルが一番都合が良かった。
今回、連絡をしたのは名前だった。「話したいことがあるから時間を作れないか」ということだったが、名前の方から誘ったのは初めてだった。意外に思いつつ、カイザーとしても会って話して、”同じ”なのか確かめたいと思っていたから問題なかった。
待ち合わせの時間に待ち合わせの部屋に行ってみれば、特に今までと何ら変わることもない、そこで一人だけ時間が止まっているような名前が佇んでいた。カイザーが声をかける前に、名前が微かに会釈するように口元を綻ばせる。それがどうしてだか切なげな表情に感じられた意味を、彼は知らなかったし気付きもしなかった。ただ腹の底で何かが蠢くような不快感を覚えて、いつものように名前に近付き強い力で腕を掴んで引き寄せた。
「名前」
そこでカイザーの口から出た名は聖女のものではなく。
「ミヒャエル」
答えた名前が呼んだのも、天使の名ではなかった。目が合った時にぐっと眉を寄せたカイザーの表情が何故だか切なげに見えて、名前と自身の名を呼ばれた時の響きがやけに熱くて、それに応えようとして彼自身の名を呼んでいた。
呼び合えば腹の底が――心がさらにざわざわと蠢いて、カイザーは名前の腕を掴む力を強くした。同じように感じているのか、名前もカイザーに手を伸ばし、しかし苦しげに、切なげにその手を止める。それを許さないとでも言うように、掴んだ腕と、伸ばされなかった腕を体ごと抱き込むようにしてカイザーは名前を壁際に追い詰めた。思い切り視線がぶつかって、一瞬、互いに息を呑む。
「言ってみろ」
口火を切ったのはカイザーだった。確かめなければならないことが、あるのだ。
「お前は、わかるんだろう。同じなんだろう。言ってみろ」
「今、お前は何を考えてる? ……俺は、何を考えてる?」
確信しているかのように強く発せられたその問いは、名前の方もまさに会って話したかったことそのものだった。見透かされたような心地がして、しかもそれが嫌ではなくて身慄いした。
「目を逸らすな」
答えを口に出すのが怖いとでも言うように、カイザーの鋭い眼光から逃れて俯きかけた名前だったが、顎を掴んで止められる。壁際に追い詰められ、乱暴とも言える仕草で視線を固定されていたが、真正面から受け止めた鮮烈な青い視線はしかし腹を立てているわけではない。彼をここまで突き動かしたのは、焦燥、だった。そして、名前も同じく逸る心が溢れそうで、壁に縫い止められた身体よりも、強い力で捕えられた頬よりも、何よりも胸の奥の方がぎゅうと締め付けられて、痛い。
目を逸らせないまま、一瞬の逡巡ののち名前は消え入りそうな声で呟いた。
「すごく、甘美で、……すごく、苦しい」
vollsüß und leidvoll.
まるで、薔薇のように。
名前がそう言った瞬間、カイザーは衝動的に口付けた。ただ”口付けとして”……愛情表現――と言ってしまっていいだろう――としてキスをしたのは初めてだった。
繋がりを求める衝動とも、奪いたい衝動とも違う。全く同じ感情を共有していたと確信を得られたことで、心のうちのざわめきが最高潮に達して――それがとんでもなく甘美で、とんでもなく苦しくて、いてもたってもいられなかった。
全く同じ感情を抱いているのだからわかる。名前も同じタイミングで薔薇の花のような唇を差し出して、それが触れてからは夢中だった。名前が少し顔を傾けると、顎を掴んでいたカイザーの指がそれを待っていたかのように輪郭をなぞる。それを感じて名前がカイザーの背に腕を回すのと、口付け合う唇を割って互いの舌が触れるのは同時だった。互いに何かを考えていたわけではない。しかしこの全能感と言っても良いほどの多幸感を、今自分は相手と寸分の違いもなく共有しているのだと確信できた。今すぐ、今すぐにこの熱をもっともっと感じ合いたい。共有などでは足りない。もっともっと一つになって、溶け合って、相手の全てを満たしたい。相手の全てで満たされたい――彼らの関係にこの感情はいわば”お馴染み”ではあったが、今日は今までとは全く違っていた。熱い。相手に触れた場所からどんどん熱くなっていく。これまでの関係を氷のような熱とするなら、今のこれは間違いなく太陽で、炎で、月で、水で、ぜんぶ、だった。ただただ、熱情だけがあって――その後どうやってベッドまで辿り着いたのかすら全く思い出せないくらい、夢中だった。
なだれ落ちるようにベッドに倒れ込んで、気付けば着ていた服はベッドの下に散乱し、体は汗だくだった。それでも飽きずに抱きしめ合う。湿った相手の肌の温もりが心地よくて仕方がなかった。
流石に疲れた名前が、水を飲もうと緩慢な動きで体を捩ったとき、カイザーが名前の背中にあるそれに気付いた。
肩甲骨の、窪んだ部分。そこに、小さな薔薇のタトゥーがあった。
「……これ、彫ったのか」
「ええ、私からはあまり見えないけれど」
「いつ」
「あなたが日本へ行って少ししてから」
「なぜ」
「……、…………あなたと、同じものが欲しくて」
名前が言うなり後ろから抱きつかれ、そこに口付けられた。薔薇の輪郭をなぞるように、唇が肌を撫でる。
「なぜ言わないんだ?」
「言わなかったわけじゃないわ。……タイミングが、なかっただけ」
隠していたのかと、ため息混じりに言葉を落としたカイザーだったが、そこには紛れもない悦びが滲んでいた。あの無気力で退屈極まりなかった女が、彼女自身の意思で、自分と同じ”傷”を受け入れている。同じモチーフで、同じように痛みと戦ったはずだ。しかもただの傷などではなく、ずっと消えることのない傷だった。カイザーがこれまで水を注ぐように与え続けてきたもの――そう言うには過激にすぎるものではあったが――、それを養分に、名前もとうとう人間らしい感情や欲求を獲得したということなのだろう。過程は違えど同じように人間になりたいと望み、同じように痛みを受け入れ、今、同じ心でここにいる。これが悦びでなくてなんだというのだろう。そうだろう、そうに違いない、と思ってはいたものの、自分の頭の中で考えているのと実際に目の当たりにするのとでは天と地ほどの差があった。
「ミヒャエル、……苦、しい」
しばらくされるがままに後ろから抱きすくめられていた名前が言う。思ったより力が入っていたらしい。隙間ができるのは気に食わなかったが、少しだけ腕を緩めてやった。名前を逃さないようにと回された左腕には荊がある。それが名前を絡め取って閉じ込めておく檻のようにも見えてかなり気を良くしていたのもあって、少しくらいは応じてやろうという気になっていた。
「そういうのが好きなんだろ?」
「嫌い、ではないけど……今は、こっちの方がいい」
体を捩って体勢を変え、正面から抱きつくと、今度は名前がカイザーの首元にある薔薇に唇を寄せた。先ほど彼が名前の薔薇にやっていたように。
それに「クソ可愛らしいことをするじゃないか」と口に出そうとして、すんでのところで止めた。以前名前が何かの拍子に「” scheiße “ってあまり好きじゃないかも」と言っていた気がする、と不意に思い出したからだ。感情も好悪も全て、全てカイザーが与えてきたのだから、名前は彼自身を映す鏡でもあるはずだった――が、いつのまにか彼女は自我を獲得していた、ということらしい。自分が全て与えて、それにより人間になった女が、人間らしく意思を伝えてくる女が、自分の腕の中で他でもない自分を呼ぶ。天使ではなくミヒャエル、と呼ばれるたびに苦しくて、背筋が震えた。
同じ心で同じものを見ているのだから、もっともっと一つになりたくてたまらなかった。
「名前、……名前、全く、足りない」
言いながら有無を言わさずもう一度覆い被さり、同じ熱量を映す視線を絡める。
思った以上に甘ったるい声が出て苦笑しそうになった。
それからまた濁流に飲み込まれるようにひとしきり愛 し合って、そうするうちに二人はあることに気付いた。
――これ以上ないほどに熱情はあるのに、いくら繋がっても、どうやっても一つになれない。
互いが互いを感じている限り、つまり二人は別個の人間だった。ある意味当たり前のことだったが、同じ感情を共有して触れ合って、二人は初めてそれを自覚した。そしてそんな苦しさを抱えながら、確かにそこにある”相手”の肌の甘さに酔っている。この甘さを感じることこそが、一つになれない意味なのかもしれない、などと、熱に浮かされた頭でぼんやりと考えていた。
「Parting is such sweet sorrow……」
「うん?」
熱情という名の濁流が過ぎ去った後には、やけに静かな夜が残った。何かを思考するような体力も気力もなく、名前は脳内に浮かんだフレーズをそのまま音に乗せた。
「シェイクスピアの……別れの場面ではないけれど、分たれているpartingって、こんなにも……甘くて悲痛なことなのね」
「……ずっとおしゃべりでもしていてやろうか?朝が来るまで?」
「……知ってたのね?」
事後の気怠さのまま、今にも眠りに落ちそうな囁き声だった。
「――いらない……あなたは朝になっても、いなく、ならない……でしょう」
語尾は囁きというよりほとんど掠れていて、言い終わらないうちにゆっくりと瞼が下りていく。そのゆるゆると包み込むような囁きに引きずられて、カイザーもまた、今までになく凪いだ気分で目を閉じる――同じ夢を、見ているのだなと思いながら。
「――、 」
どちらのものともつかない吐息のような声は、互いの耳にも届かず微睡みに霧散していった。
Wanderkinder im Wunderland
同じではない、2人の子どもたち。彷徨いながら出会い、彷徨いながら歩き出した、子どもたち。