Die Blaue Nacht

永遠はここにあって

2025年キスの日ということで書きました。キスの日ネタ、ではなく小豆さんと夢主の初めてのキスの話。

 止まっていた時が動き出したのは、唇が離れて互いに震えるような息をついた後だった。
「……あるじ」
「小豆、さん」
 互いに呼ぶ声が重なって、二人同時にもう一度口を噤んだ。
 決して間の悪い沈黙ではなく、かといって何かが考えられるような状態でもなくて、名前は自分の背に腕を回してを支えてくれる人の、すぐそこにある肩口に頭を埋めた。そのほのかな重みを改めて抱きしめて、確かな暖かさを全身で受け止めた小豆は、自分のそれとは全く違う細く柔らかな名前の髪をそっと梳いた。名前の耳と、それから流れる髪から覗く首すじがほの赤く染まっているのを見て、何とも言い難い……おそらく、愛しさのひとつではあるものの何とも説明できない感情に飲み込まれそうになって、あれきり沈黙してしまった名前のその耳を喰むようにもう一度唇を寄せた。
 それにふるりと肩を震わせて逃げるように身を縮めた名前ではあったものの、結局もっと強く抱きつく形になってしまって、びくともしない逞しく熱い体をまざまざと感じるだけになってしまう。その小豆はというと華奢な名前体を抱きしめすぎないように力を込めて、二人しかいないのに、それでも二人にしか聞こえないごく微かな声で囁いた。
「ごめんね?」
「いいんです、小豆さん。――いいんです……嫌とかじゃ、ないです」
 何に対してなのか、少しも悪いなどと思っていないような声音で謝られて、だから名前も受け入れた。悪いと思っていたとしても、答えは変わらなかったとは思いながら――示し合わせたようなやり取りではあった。言葉などいらないと常々感じ合ってきた二人の、ある種の区切りだった。
 
「ねえ、こっちをみて」
 顔を伏せたままの名前の頬を撫でて自分の方を向かせる。照れているのか、常なら血色の悪い日の方が多い肌が上気していてこの上なく魅力的に見えてしまう。頬を撫でる手に大人しく顔を上げ、しかし一瞬だけ目を合わせてすぐにまた目を逸らしてしまった名前がやはりこの上なく愛おしくて、胸が……鋼でできているはずの胸が苦しくなる。
「かお、あかくなっているね……かわいい」
「……っ、小豆さんも赤くなってるわ」
 初めての口付け。初めての空気。初めてのやりとり。初めて尽くしでもはや居た堪れなくなって泣きそうなくらいに潤んだ瞳で、名前がやはり小豆の目を見られないまま呟いた。それは小豆にも聞こえていて、今度は彼が居た堪れなくなる番だった。確かに、名前を抱きしめる腕も抱きとめる体も顔もそして吐き出す息さえも、いつもより熱い。自覚すればさらに熱く感じた。何も言えずにまた名前を抱き込めば、すぐそばにあった名前のこめかみに唇が触れる。ちょうど良い、とばかりにそれを口付けに変えて、熱を分け合う。こめかみにひとつ、それからまぶたにもひとつ。分け合うつもりが、口付けを落とすたびに熱くなっていく。名前もそれを感じているのか、かすかに触れたまつ毛が揺れた。首にかかる彼女の息も、熱い。
「あずき……さん」
 吐息の中の一粒を音にしたような声で、名前が呼ぶ。何がしたいのか、何をして欲しいのかなんて、それだけで通じ合ってしまった。
 密やかにやわらかに、微かな音を立てることもなく、ただ静かにもう一度、二人の唇が重なった。
 ……気持ちを伝え合ったとか、恋人同士になりたいとか、そういう話をしたことはない。これまでも、そして今も、控えめに触れる唇や、いつのまにか繋がれていた手の優しい力加減や、ほんのりと熱を持った頬や、服越しに伝わるいつもよりも大きな鼓動や……ここにあって二人を構成する全てが幾千の言葉を圧して「あなたを愛している」と伝えてくる。
 
 それはただ触れるだけの……互いの唇の優しさと熱に触れるだけの口付けで――また、時間が止まった。

 初夏。日に日に水分を蓄え夏へと進んでいく空の下で、二人だけが永遠だった。