朝が弱いご当主夫妻の話
絶賛お砂糖期。
お兄様、朝は糖分が足りなくてしんどい人だといいなとなんとなく思っています。だからこそ朝食含め朝のルーティンはきっちりこなすイメージ。寝坊はしません。夢主は血圧が低くて朝起きれないイメージ。しばらくベッドでゴロゴロしてたら起きられるようになります。
まだ夜の残る寝台に、半分だけ下ろされた天蓋。朝の光がそれを回り込んで、名前の頬を撫でた。
名前は眩しそうに身じろぎすると、隣で眠る夫にすり寄るように抱きついて、薄らと目を開けた。夫の胸の上に置いた腕に朝日が差している。
夫――アグロヴァルは、寄り添う妻の近くなった体温を感じて意識を浮上させる。名前を抱き寄せて、その髪に唇を寄せた。
「名前」
起き抜けの掠れた声で妻の名を呼び、アグロヴァルはそのまま、今度は名前の目元にキスをする。それが幸せでくすくすと笑ったところで、名前は朝日に照らされた自分の腕にある赤い痕に気がついた。
ああ、また。まだ頭が覚醒していないのもあるが、特に驚くこともなくぼんやりとそのキスマークを見やる。珍しいことではないのだ。いつも、なんだかよくわからないうちに増えていているが、名前も嫌ではないのでドレスから見えない場所であれば何も言わない――尤も、アグロヴァルは名前が困ると知っていながら、あえて目立つ場所に痕を残すこともあったが。
「アグロヴァル様?」
名前が問えば、アグロヴァルは答える代わりに妻を抱く腕に少し力を入れた。
「これ……どうやるのですか?」
「我にもつけたい、と?」
「はい。教えてくださいませ」
ふんわりとした声でねだる名前にひとつ息を吐くと、アグロヴァルは名前を抱いていた腕を緩め、自身の上に置かれていた名前の腕を取ってその白い手首に口付けた。そのまま、こうやるのだと見せつけるように吸って、微かな音と共に唇が離れた後には、小さな赤い痕がついていた。「皮膚の薄いところの方がつけやすい」などと言いながら、アグロヴァルは掴んだ手を滑らせて名前の指先に触れると、無意識にかその薬指にはめられた指輪を撫でた。
名前はわかったというように、指輪を撫でるアグロヴァルの指に自らの指を絡めると、すぐそばにあった夫の肌――アグロヴァルの首元に唇を寄せた。アグロヴァルは一瞬息を詰めたが、すぐに微笑ましいものを見るように体から力を抜いた。キスマークなどつくわけもない、ただの口付けだったからだ。どうやら先ほどのアグロヴァルを真似たいらしいのだが、寝起きの名前には難しいらしい。ただただ夫の体に乗り上げるようにして、首筋にいくつもキスを落としているだけだ。アグロヴァルは気の済むまでやらせてやろうという気になって、空いている腕で名前を支えてやった。なんといっても彼の妻は朝が弱いのだ。
「――っ」
しばらく名前のしたいようにさせていたアグロヴァルがふいに身じろいだ。名前の歯が彼の首に触れたからだ。
名前としてはただの偶然で、何か思うところがあったわけではなかったのだが、アグロヴァルからしてみれば、自身の上に半身を乗り上げているのがじゃれつく猫などではなく愛する妻であり、彼女が熱烈に(とはいえ実際には力など入っていないが)愛情を示しているのだと気付くには十分すぎた。名前はというと、なかなか思うようにキスマークなど付けることができずに、時折不満げなため息を漏らしている。至近距離で聞こえるそれが、ひどく悩ましげなものに思えてしまい――心地よいまどろみの中にいたアグロヴァルの眠気など、一瞬で吹き飛んでしまった。
それからひとしきり、アグロヴァルがただただ耐える時間を過ごしたところで、気が済んだのか名前の体から力が抜けて、やはり少し不満そうに「難しいのですね」などと囁きながら夫に身を任せた。まだ眠いのだろう、くたりと身を委ねる姿は、さしずめ親のもとで安心しきって寛ぐ仔猫のようではあったが、薄いナイトウェアを通して伝わる妻の肌の温もりのせいで、アグロヴァルはそんな微笑ましさに浸ることはできなかった。
「難しい――か」
深く息を吐き、その息に乗せて言うと、アグロヴァルはぐいと名前を抱き寄せるようにかき抱き、そのまま二人の上下を反転させた。今度はアグロヴァルが名前に覆い被さる格好だった。突然ぐるりと転がされて、名前は夫の腕の中で小さな悲鳴を上げる。間髪入れず、アグロヴァルは無防備に晒された妻の首に吸い付いた。またしても名前が小さく声を上げ、今度は見える場所はやめてと言いたげに少し抵抗するようなそぶりを見せたが、アグロヴァルには関係なかった。名前だって同じことをし(ようとし)たのだし、今日は休日なのだ。必死に隠すこともない。明日以降も多少は目立つだろうが、そこはそれだ。
――そこはそれ、と思ってしまうあたりアグロヴァルの我慢具合が察せられるが、そもそも彼は、たまには見える場所にキスマークくらいつけても良いだろう、とは常々思っていた。この小さな赤い痕が”ウェールズ家当主の妻たる証”として名前の身と地位を守ることにも繋がるのだから、と。もちろん、彼自身の独占欲の表れという面も多分にあったし、地位を守る云々もその理由づけに過ぎないと言われれば返す言葉もないのだが。
ひとつどころではなく、アグロヴァルはふたつ、みっつと思う様赤い痕を散らす。首筋だけにとどまらず、身じろいだことで乱れたワンピースの隙間から、鎖骨や胸元の際どい所にまで口づけて、否応なく熱情を煽る。そのまま唇で名前の輪郭をなぞると、わざとらしく耳元で音を立てて、少しだけ、二人の間に隙間ができた。
「アグロヴァルさ、ま……っ!」
ようやく止んだのを感じて言った名前の言葉は、続けて今度は唇に向けて降って来たキスに飲み込まれた。それはいつもの起き抜けに贈られるものとは全く違っていて、噛みつくように激しく強い。衝動に身を任せて求められる時のようで、否応なく応えてしまう。名前とて、決して求めていないわけではないのだ。下唇に軽く歯を立てられ、それに応じるように唇を開くと当然のように入ってくる舌に蹂躙される。どちらのものともわからない吐息と微かな喘ぎ声とが混ざり合って身震いした。
口付けあいながら、するりと名前の腕が動いてアグロヴァルの背に回された。それによりさらに激しく求められて、その腕――指に力が入り、彼の手触りの良いシャツにくしゃりと皺が寄る。それに気を良くしたのか激しいキスはそのままに、アグロヴァルは少し名前に体重をかけた。ただでさえ逃がしてくれない口付けに加えてさらに強く覆いかぶさられてしまい、名前は苦し気に細く喘ぐ。しかし裏腹に、彼女の体はやめないでとせがむようにさらに強く夫にしがみつく。美しく整えられた小さな爪が、夫の背を掻いて――途端に、あれほど激しかったキスが止んだ。
「痕がつけたいのならば、爪でも立てていればよかろう」
ともすればまたすぐにでも唇が触れ合いそうな距離でアグロヴァルが囁いた。やっと息ができるようになり、思い切り空気を吸った名前の頬は上気し、瞳は熱に浮かされたように潤んでいる。情事の名残のようなそれに少しだけ目を細めると、アグロヴァルは何事もなかったかのように名前を開放して起き上がった。
突然離れた夫に戸惑いながら、囁かれた言葉を理解した名前の頬はさらに赤くなる。困ったように眉を下げると、はだけそうになった服を引っ張ってつけられたばかりのキスマークを隠そうとした。恥ずかしいのか、はたまた中途半端に止められたキスが不満なのか、少し唇を尖らせたのをちらと横目で見やり、アグロヴァルはほんの微かに笑ったようだ。少しだけ空気が動いた気配がした。しかしもはや続きに耽ることはなく、残った濃厚な空気を払うように天蓋を上げると、そのまま寝台を降りてしまう。
先ほどの雰囲気など消し去ってしまうように、寝台の外は既に朝の光で照らされている。アグロヴァルはテーブルに置かれた水差しからグラスに水を注ぐと、ぬるいそれを一気に呷った。もう一度注ぎなおし、今度はゆっくりとグラスを傾けながら、もう一つ――名前のためにもグラスに水を入れてやる。振り返ると、彼女は上掛けを首元にまで引っ張り上げていた。今日はこれ以上はだめだ、という意思表示だったが、アグロヴァルとてその気はさらさらない。ない、わけではないが、衝動は水と一緒に流し込んだ。グラスを二つ持って、アグロヴァルは寝台へ戻る。サイドテーブルにグラスを置くと、何事もなかったように名前を抱きしめ、少しだけ身構えた妻の額に触れるだけのキスをした。
今日は休日、早くに起きて行動する必要もない。夫婦そろってもう少しくらいまどろんだところで、誰も何も言わないのだから。