空白を埋めるように
タイトルはこちらからお借りしました。
http://have-a.chew.jp/on_me/top.html
サプライズ帰国で瀬名泉が彼女を泣かせる話。
夢主は滅多に泣かないけど一度泣いちゃうとわっと出ちゃうタイプです。
なお梶原俊弥はオリキャラです。
学内アルバイトとしてアイドル科の曲の演奏をすることも多かったが、大学に入ってからはそれも減った。それも当然、相変わらずESは夢ノ咲学院と繋がりが深く、あえて外部に演奏を頼みたいなどでなければ、アルバイトとして学院にオファーが来るからだ。そして名前が呼ばれたのは、その「あえて外部に演奏を頼みたい」ユニットがいたからで、そのユニットというのが他でもないValkyrieだった。以前録音した曲を、現在のValkyrieとして再録したいのだという。
カフェ・シナモンに集まったのはValkyrieの2人と、当時演奏チームのリーダーだった名前、ドラムを叩いていた俊弥の4人。高校時代ならともかく、進学先も別々で、中には椿のように国外に出ている者もいる中、「以前のメンバーで再度演奏をして欲しい」という宗の要望に応えるべく、スケジュールや場所の確保について話し合っていた時のことだった。
「あれ、瀬名じゃん」
「なんだ。梶原も呼ばれてたんだ――名前、久しぶりだねえ」
ふいに4人に近づいてきたのは他でもない瀬名泉。なんだ、などと言いながら全く驚いていないような顔をして、泉の視線は俊弥を飛び越えて名前を捉えている。
企画書を読んでいた名前は、それを聞いて弾かれたように顔を上げた。
「名前。驚いた?」
「え、えっ? いずみく、え、なんで?」
「サプライズ、なんてね。ちょうど俺も日本で仕事あったし、名前もESに来るって聞いたから」
海外にいると思っていた恋人が目の前にいる。名前はその驚きで固まってしまい――次いで見開いた目から、ぽろりと涙が転がり落ちる。場の空気がざわめいた。
「は? ――まって、何で? 嘘でしょ」
「何って――なに、わかんな……っ」
これには驚かせた方の泉もさすがに驚いて、名前の方はというと泣いていることにも気づいていなかったのか、さらにびっくりしている。つまり収拾がつかない。ぼそりと俊弥が呟いた。
「あーあ、泣ーかした」
「うるっさい! ああ……もう!」
それが癇に障ったのかいらいらと声を上げて、泉は名前の手をつかむ。
「瀬名!」
「ちょっと名前借りるから」
事態が呑み込めず呼び止めようとした宗に見向きもせず、泉はそれだけ言って名前をカフェから連れ出して行った。残された宗、みか、俊弥はというと、嵐のように去っていった二人になすすべもなく、他の席からの怪訝そうな視線やささやき声の中に取り残されてしまったのだった。
「ねえ、泣かないでよ。嬉しいのはわかるけどさあ」
慌てていたのと、それから羞恥もあって、カフェを出た時にはかなり早足になっていた泉も、使われていない練習室を見つけるころには名前の歩調に合わせられるようになっていた。
練習室の表示を「使用中」にして、ずっと繋ぎっぱなしだった名前の手を握り直す。自分よりも下にある相手の顔を覗き込んだ。
「ごめ、なんか、涙、出ちゃっ……」
驚きのあまり涙を零した名前は、泣いていると自覚したことでさらに涙が止まらなくなったらしい。歩いている間も、大人しく泉に手を引かれながら、時々すんすんと鼻を鳴らしていた。
「……」
ひとつ、大きなため息を落とすと、泉は涙ごと名前を強めに抱きしめた――というのに、さっきまでとはうってかわって、名前は抱きしめられることに抵抗した。服に化粧がついてしまうだとか、マスカラが落ちてしまうだとか。ほとんど抱きしめられながら、くぐもった声で訴える名前に、泉はそんなことかと笑いそうになった。
「そんなの、いいから」
半ば強引に名前の頭をかき抱いて、早く涙が止まりますようにと自分の左胸に押し当てる。それで観念したのか、名前も泉の背中に腕を回してしがみついて……海を隔てた9,700キロの距離が、ようやくゼロになった。
「俺も、ごめんね。驚かせちゃったね」
「い、いいの、それは。びっくりして、泣いちゃって、そしたら……寂し、かったんだ、とか、嬉しいとかで……止まらなく、なっちゃった」
名前が落ち着くようにと、抱きしめたまま頭を撫でる。しばらくそうしていれば、互いに強張っていた体から次第に力が抜けていく。互いにもたれかかるような心地よさが二人を包み、どちらからともなくほっと息をつく。名前のまだ少し濡れたまつ毛がぱちぱちと瞬くのを、泉は何とも言えない気分で見つめていた。
そうするうちに不意に名前が顔を上げた。潤んだ瞳としっかり目が合う。
「会いに来てくれて、ありがとうね」
泣いたことも相まってふにゃりとした表情で、腕の中の名前が言う。安心しきったように泉に身を預けて幸せそうに言うものだから、柄にもなく緊張してしまって。結局、名前の言葉に返すこともせずに目をそらした。
「あーあ、前もこんなことあったよねえ? 名前のこと、泣かせてばっかな気がしてきた」
「でも、悲しくて泣いたんじゃないよ? 前って、あの……付き合い始めた時のことでしょ? あれも別に、泉くんのせいじゃないっていうか。確かになかなか会えないけど、遠恋なのも納得してるし」
「そうは言ってもあんたは基本泣かないんだから相当なことでしょ。俺たち……俺は曲がりなりにも騎士なんだからさあ、やっぱりお姫様を泣かせちゃダメなんだよねえ」
さらりと「お姫様」だなんて言われてしまい、今度は名前が目をそらす番だった。それを追って、泉も視線を落とす。
「名前」
雰囲気を変えるように小さく小さく、囁くように呼んで、赤くなった名前のまなじりに唇を寄せた。彼だって、我慢していたのだ。泣くほどではないにせよ、なかなか会えないことに思うところだってある。次に会った時には抱きしめて、キスをして、しばらく二人だけでたくさん話をしたいとずっと思っていた。サプライズは彼が考えていたものとはかなり違ったものになってしまったし、結果的にかなり強引だったが。
唇が触れた瞬間、名前は微かに身じろぎをして――それからその感触を愛おしむように目を閉じた。すかさず、閉じられた瞼にもキスが落ちる。瞼から頬へと、涙の流れた後を追うように暖かなキスは続いて、それに誘われるように少しだけ、名前は顎を上げた。それを待っていたというように笑う気配がして、優しい強さで唇が重なった。
啄むように、慈しむように、「あなたが好き」と、何度も何度も伝えるような口づけだった。
「アイメイクすごいことになってる。これじゃ戻れない……」
しばらく経って、すっきりした表情で笑っていた名前は、掛けてあった鏡に映った自分の顔を見て、その表情を曇らせた。
「あ……それも、悪かったと思ってる。斎宮たちもだけど、名前も仕事として来てたわけだし」
「じゃあ、私の鞄持ってきてくれる?目の周りとか直したら多分大丈夫」
「わかった、待ってて。――化粧直しなら、俺も手伝ってあげるよ」
少し口角を上げるだけの笑みを一つ残して、泉は練習室を出て行った。
「……苗字は大丈夫なのかね」
「うん、まあね。鞄取りに来たんだけど、もう少ししたら戻るから。――仕事中邪魔してごめん」
「問題ないのであれば、まあ良いのだがね。……君たちは……いや、やめておこう」
一人で戻ってきた泉から、彼にしては珍しい謝罪と最低限の答えをもらったところで、うんざりだという顔で宗は口をつぐんだ。恋人同士の関係なんてものに他人が口を出して、良いことが起こるわけがない。
――その後、「Knightsの瀬名泉が女の子を泣かせていた」「彼女と修羅場を繰り広げてた」などという噂がES内で広まり、泉が憤慨することになるのはまた別の話。