もう一度 / まるで夢のよう / 暗がり
ワードパレットでやってみたもの。
夢主の情緒がだいぶ不安定。というかだいぶ未来すぎてもはやifです。
カイザーとしては、まあたまにこういうふうになるよなと思っていつつ、こいつほんと飽きもせずいちいちまともにダメージ受けるよなと思ってる(自分はもう絶望が友達みたいなものだったので)。でも引き戻せるのは俺だけだっていうところに満足感もあります。
暗がりくらいがちょうどいい。
いくら”名前“という個人として生きられるようになったとしても、”苗字“という姓とその役割は消えない。端的に言えば「家のための人形であれ」という役割については、そういう家に生まれたのだからと理解も納得もしている。それなのに、時々それが苦しくてたまらなくなる。いつもなら難なく飲み込んで難なくこなせるそれが酷く苦しくなるのは、決まって父からの連絡があった時。
父が強権的で合理性をひたすら追い求める人だというのも、国内でも有数の企業を統率する立場なのだからと考えれば容易に理解できる。決して悪人なんかではなく、最大多数の最良を最良の手段で求めた結果であることは説明なんてされなくてもわかっているのに……求められる役割がこんなにも苦しいと思ってしまうように、なってしまった。
「名前」
誰もがそう私を呼んで、それでいて私に何も求めない声はただ上辺を滑っていく。それも当たり前でしょう、”私”を求めているわけではないのだから。呼ばれる声ばかりが大きくなって、私自身がどんどん小さくなるよう。小さくなって、やがて暗闇に溶けていってしまうような心地は……何も今回が初めてじゃない。考えることすら億劫になって、自分の心と身体を切り離す――そうすれば身体はきちんと動かせるし、何も感じずにいられるから。
「おい、名前!」
少し苛立たしげな声が、急に現実感を伴って至近距離で響く。もう一度私を呼んだ声は、あなたの声音をしていた。
「……あ、……ミヒャエル……」
私の腕を掴んだ手にはかなり力が入っているようで、そこで初めて痛いほどの熱を感じる。私がミヒャエル、と口に出したことで、その力が少し弱められた。
さっき、まるで夢のようにぼやけていた思考の奥で聞こえた声は、あなたが呼ぶ声だったのね。
「……お前また、この世の全てに絶望でもしてたのか?」
「絶望、かどうかは、」
「そんなクソ死んだ魚みたいな目でよく言ったもんだ」
「…………」
そう言われてしまえば返す言葉なんてない。あの感覚を”絶望”と呼ぶのであれば、そうなのかもしれない。
ハア、と深く息をつく音がして、あなたが私の隣に腰掛ける。その重みでソファが沈んで、自分では傾くことすらできなかった身体があなたの方へ傾いでいく。それを何でもないように肩で受け止めて、次いで私のスマホを取り上げた手が、頬のいちばん高いところに触れてそのまま拭うように動く。……泣いているわけでは、ないはずなのに。
普段のあなたとは違って恐る恐るといっていいほどの慎重さで触れる指はそのせいか優しい。頬を滑った指が首に触れ、肩に触れ、腕をなぞって、手を握る。考え直したのか、一拍置いて指が絡められて……私はそれを何も考えられずに眺めていた。触れる指や腕の暖かさがじわじわと私にも伝わってきて、自分が心も身体も冷え切っていると自覚する。境目が際立つ。――自分の輪郭が明確になる。
「お前、本当に……わかりやすく冷たくなるよな」
あなたも同じことを思っているのね。緩やかに絡められたあなたの指が確かめるように私の指を撫でるのを、少しずつ戻ってきた感覚が伝えてくる。
こうなることはたまにあって、そのたびにあなたは私のこの冷たい身体に触れて、その冷たさなんてどうでもいいと言うように、あなた自身の熱を分けてくれる。私がどれほどそれに掬い上げられているか。どれほどそれを求めているか。きっとあなたはお見通しなんだわ。そうやって、霜が降りて凍っていきそうだった身体と、そして心まで溶かして私を連れ戻してくれる。
「……で? どうしたいんだ」
腰を落ち着けたあなたが、やはりいつものように問いかけてくる。返す言葉も、大抵同じ。だけどそれだって、以前に比べれば私の心が思うままに声に出せるようになってきたと思う。
「ここにいて。……ここにいさせて」
「そもそも俺の家だし、お前の家だろうが」
「……それでも、言わせてほしいの」
「わかってる。じゃなきゃ聞いてないからな」
繋がれた手に少し力が込められて、あなたの存在をさらに強く感じて……それがなんだかとても苦しい。私よりも大きな手が、私よりも温かい体温が、私に向かって放るそっけない言葉が……あなたの存在全てが、私を私でいさせてくれる。まだほんの小さな私の自我なんてすぐに飲み込んでしまうほどにあなたは強いのに、あなたの強さは私をかき消したりしない。そんなことずっと前からわかっていたのに、どうして、今この瞬間がこんなに苦しいの。”絶望”なんかでは決してなくて、でもそれくらいに心の奥が苦しくて、これをどう表せばいいのかなんて、わかりようもないの。
不意に押し寄せたその感情が正常になりかけていた私の思考を押し流してしまう。そんなまとまらない頭の中に最初に浮かんだ言葉をそのまま音にした。
「ミヒャエル……私ね、壊されるならあなたの手がいいわ」
「……。……気が向いたらな」
そうやって、まとまらない考えも、とりとめのない言葉も、……何度も聞いた言葉でも、流しているように見えて真摯に聞いてくれるあなたのことが、私は。
「どうか、覚えていてね」
「もういい加減、黙ってろ」
空いている方の手が伸びてきて引き寄せるように頭に添えられて、だけどほとんど力は入っていない。こういう時に抱きしめるでも抱き寄せるでもなく、ただ添えるだけなのがあなたらしい。有無を言わさず絡め取られるように抱きしめられることもあるけれど、時にこんなふうに触れてくることだってある。それを知ったのはほんの最近だけれど。
深く息を吐けば、心の奥の苦しさも少しだけ一緒に吐き出されていく。添えられた手につられるようにこめかみをあなたの肩へ寄せれば、くしゃりと髪を梳かれてそのまま髪に微かな口付けが落ちてきた。
あなたが息をするたびに微かに動く、自分のものではない身体に安堵する。
目を閉じれば薄闇。あなたの輪郭を頼りにふたりで歩く暗がりは、息がしやすい。
もう少しこうしていてほしい。もう少しこうさせてほしい。そうすれば私は、”あなたの名前“でいられるから。