Die Blaue Nacht

どちらか / 水面に揺れる / 真実

ワードパレットでやってみたもの。
多分17歳とかそのくらい。タトゥー入れたくらいの頃かも。世界の全ては敵で、レイダークおじさんにしか出会ってない頃(なので夢主は出ません)。

 鏡に映る自分の顔に、あの女の面影を見てしまう。他人を蹴落として蹂躙する暗い悦びに、あの男の憎しみに満ちた顔を思い出してしまう。
 
 それは否定のしようもない真実であり、振り切り、打ち破るべき幻想でもあった。そう――真実はいつだって不都合で、しかも別にそれで腹がふくれるわけでも幸せになれるわけでもない。まあ……人生における”何らかの”指標になることはあるのかもしれないが。

 自分の目指すもの、自分が求めるもの。それが世界にとっての真実かどうかなんてどうでも良かった。それらは多分この世の真実なんかではないし、むしろその逆、世間一般から見ればそんなものは偽物だと言われたほうがしっくりくるものに違いない。
 ――ならばそれすら飲み込んで蹂躙して、自らが信じるものを真実にしてしまえばいい。誰しも自分の信じたいもの、そして信じざるを得ないものを信じているのだから、それだけの力で塗り替えてしまえばいい。そうすれば、誰から見ても”ミヒャエル・カイザー”の存在は確たるものになるだろう。

 
 不可能の象徴として、世界の真実を己の手で塗り変えろ。
 
 そのために必要なものは何だ?
 思考しろ。思考し続けろ。
 自分が何を求め、何を拒絶し、何に拠って立つのか――拠るべきものなどないのなら、それでもいい。それでいい。
 美しい真実などいらない。どうせ自分が啜るのは泥水だ。その水面に揺れる影、それが天使なのか悪魔なのか……どちらかなんてあんなに濁って淀んだ泥水じゃわかるはずもないし、天使でも悪魔でもない、なんてこともあるだろう。ならばそれを啜って生きる自分だって、天使でも悪魔でもない、何者でもない”クソ物”だ。そんな地の底から、全てを見下ろす場所へ至ってやる。そうして全ての価値観を塗り替えるほどの脅威と畏怖をかき集めれば、――その先にある何かが、自分の手の中に残るはずだ。きっとそれが、自分の信じるに足る真実もいうものなのだ。

 それが手に入って初めて、自分の歩く道こそが正しいのだとこの世界に刻みつけることができるのだろう。

 (そしてそれは、自分の歩いてきた道が正しかったのだと証明することにもなるのだろう。)