Die Blaue Nacht

土砂降りキス

突発的に浮かんだ話です。名前変換はありません。

「ねえ、本当に行くの?」
「ああ――すまないが、こればかりは」
「なにもこんな土砂降りの中出ていかなくたっていいじゃない」
 わかっている、彼を引き留めることなんてできないのは、悔しいけれどわかっている。自分に彼を引き留め続けておくだけのものがないのもわかっている。だってジークフリートが私の許を離れていくのは、私を――私の生きる世界を守るためなのだから。だからといって、はいそうですかといい子ぶって納得して、すぐにその手を離すこともできないのだから我ながら度し難い。
 荷物をまとめる彼の動きに迷いはなく、急に降り出した雨に部屋の中が一気に暗くなっても、その手が止まることは一切なかった。雨はみるみるうちに激しさを増して、まるで彼をここに閉じ込めようとしているようだ。――などと考えてしまうのは、私が彼を行かせたくないからだ。

 見送る、なんてかわいいものじゃなかった。見送るふりをして未練たっぷりに引き留めるつもりだった。だから傘なんてささない。ジークフリートの黒い鎧が、雨に打たれてますます黒々と艶めいている。そんな彼に向き合って最後の悪あがきをする私は、ずぶ濡れできちんと惨めに見えているだろうか。
「まだ側にいてほしいわ。せめて、雨が止むまで。明日の朝でいいじゃ――」
 言いかけたところを、半ば強引にキスで止められた。彼の鎧が固くて冷たい。力を入れすぎないようにという配慮は見えるが、そもそもそんな鎧でキスしないでほしい。……さっさと中に入って、その鎧を脱いでくれればいいのに。鎧なんて脱いで、その体で抱きしめてほしい。こんな雨の中じゃなくて、暖かい部屋の中で思う存分キスしてほしい。雨に濡れて奪われていく体温と対照的に、彼の唇がこんなにも暖かいことなんて知りたくなかった。
「今はこれで勘弁してくれ」
 土砂降りの雨に溶けそうな声で、ジークフリートが言った。武骨な男の指が頬を拭う。私が泣いているとでも思ったのだろうか。頬を伝う雫が雨なのか涙なのかなんて、この男にわかるわけもないだろうに。
 
 曖昧に笑うと、ジークフリートは濡れて色の濃くなった髪からぽたぽたと雫を垂らしながら私に背を向けた。決してこちらを振り向かないことを、私はもう知っている。でも彼が次にいつやってくるのかは知らない。
 流れ落ちる雨粒とキスの名残を振り払うように、手の甲で些か乱暴に口元を拭う。
 女を惨めなまま残していくなんて、酷い男。だって私、キスが欲しかったわけじゃない。

 ――嘘、もっとキスして欲しかった。