いつかのあなたへ
ネス夢(未満)。×ではなく+、くらいの関係。プロ時空。
ネスがサッカーで”幸せ”になるためには、彼自身による彼自身の変革が必要で、そこに誰も手出しできないし彼自身が乗り越えなければならないことではあるんだけど、彼のサッカーは今この瞬間もきっと誰かに魔法をかけているよ、どうかそれを忘れないでほしい。という思いで書きました。
敬語じゃないネスの口調わからなすぎてとっ散らかってます。
ネス覚醒直前に書いたものです。
<参考>
少年スパイ アレックス・シリーズ①
『ストームブレイカー』
アンソニー・ホロヴィッツ 著
竜村風也 訳
『はてしない物語』
ミヒャエル・エンデ 著
上田真而子 佐藤真理子 訳
『モモ』
ミヒャエル・エンデ 著
大島かおり 訳
「こんにちは。最近よくここいるよね。本好きなの?」
「こんにちは――君もよくいるよね。どんな本が好き?」
確か最初に話しかけてきたのは名前だったはず。その声が兄や姉と違って優しかったから、僕もちゃんと答えたんだと思う。少し話しただけで、その子も自分と同じように本を読んで魔法にかけられて、興奮で眠れない夜を過ごすことを知っている子なのだと伝わってきた。意気投合って、こういうことを言うんだと思った。
「キミ、なんていうの? 僕はアレクシス。アレクシス・ネス」
「アレクシス? あ、ねえ、アレックスって呼んでいい?」
そう、キミは自分の名前を名乗りもせず、僕の呼び方を聞いてきたんだっけ。
「いいけど、どうして?」
「『アレックス・ライダー』みたいでかっこいいから!」
「アレックス・ライダー?」
「この間読んだ本! 『アレックス・ライダー』シリーズの主人公がね、そのままだけどアレックスなんだよ」
あの辺にあるよ、と隣の棚を指さされたから、その日は1巻めを借りて帰ったのを覚えている。確かにおもしろかった――まあ、魔法は出てこない物語だったけど。というか、後で気づいたけど、キミがまず僕のことをアレックスって言ったのって、キミがたまたま最近読んだ本だったからってだけだよね。
とはいえ嫌だったわけじゃない。初めて。初めて、僕は僕の見ている世界を分かち合える人と出会ったんだ。
「――って、キミの名前は? 僕はキミのこと、なんて呼んだらいいの?」
「あっ、ごめんね。私は名前。名前・苗字だよ」
ルイス、グウィン、ローリング、ジョーンズ、エンデ、イーザウ、マイヤーにトールキン、他にもたくさん。さあ今日は、何を読もうか――そんなことを考えながら。
立ち並ぶ本棚の角を曲がって立ち止まる。
市立図書館。目当ては児童書、ファンタジーの棚。図書館に来たときは必ずここに来て、魔法が詰まった本を読む。借りて帰ることもある。
本の中には魔法がいっぱいに詰まっていて、その魔法を体いっぱいに浴びたくて足早に児童書コーナーに向かうと、いつも足を止めるあたりに先客があった。しゃがみ込んでページをめくっている。
「名前!」
「アレックス!」
大きな声は上げられないけれど、名前を呼べば向こうも気づいてパッと笑顔になってくれた。名前・苗字。よくこの場所で会う女の子だ。
名前は僕をアレックスと呼ぶ。他の人はみんなアレクシスって呼ぶから、これは名前だけが呼ぶ名前。そう思っていればお互いの名前を知った時のことが蘇ってきて、なんだか少し嬉しくなった。
同じ市内といえど、名前とは住んでいる地域も学校も違う。だから図書館でこうやってたまたま(と言っても僕ら2人ともよく来るからほとんど毎回だけど)会う時が僕らの全て。その時間に僕らは、何読んだ? どんなだった? あれおもしろいよね。ああいう魔法使えたらなあ。あの公園の大きな木の裏にはね…、あそこの角曲がったらきっと……、――そういうことを夢中で語り合った。図書館だからもちろん小声で。それがさらに二人だけの秘密って感じがして、最高に楽しかった。
時には図書館で待ち合わせて、街に遊びに行くこともあった。中央駅から一駅のところに大きな公園があって、いつか名前に聞いた例の大きな木を探しに行く。きれいに手入れされている公園だけど、なぜかその木の周りだけは鬱蒼としていて……2人で目配せしあって走り出して、勢いよく木の裏に回り込んだらぽっかり空いていたウサギの穴に躓いて名前が思いっきり転んだのを覚えてる。
公園の近くには大きな大学もあって、この辺りは小さな本屋がたくさんあるから僕のお気に入りなんだけど、路地を入ったところにすごく古そうですごく小さな本屋があった。まさに、僕が想像するカール・コンラート・コレアンダーの古本屋そのものだ。だけど1人で行く勇気がなかったから名前にそう言ったら、名前は目を輝かせて「2人で行けば怖くないよ!」と言ってくれたこともあった。
……結局、その本屋をやっていたのは気だるそうなお姉さんで、コレアンダーさんとは似ても似つかなかったけど。もちろん何も盗んでなんていない。それに、行ってみたら全然怖くなんてなかった。
そういう”冒険”の話も二人の秘密だ。誰かに話せばそれだけで色褪せてしまう気がしたし、家でそんな話したってバカにされるだけだし。
名前といる時間は、それほどに光り輝く魔法みたいな時間だった。
お互いギムナジウムに進む頃、僕が「サッカー」に魔法を見つけたのと同じように、名前はどうやら「言葉」に魔法を見つけたらしい。
「言葉ってね、ただのAって文字とか、アーって音なのに、それが組み合わさって単語になって、文になったら意味が生まれるの。なんだか素敵じゃない? 魔法そのものって感じ!」
「ねえ名前! サッカーってすごいんだ! 体とボール一つで、それが生み出すゴール一つで、スタジアム全部に魔法をかけるんだ! そこにいる人みんな、魔法にかけてしまうんだ!」
そうやって僕らは、自分たちの信じる魔法がどんなにすごいか、どんなに魅力的かを伝え合うようになった。でもそれだって子どもの頃から変わらない、同じ本を読んで語り合うのと同じ。僕らは互いに「魔法」を信じていたし、「魔法」で確かに繋がっていて、これから先歩く道が違っても変わることはないんだって、確かに思っていた。
だからこそ、これからは気軽に会えなくなるってわかっても、全然悲しくなんてなかった。あの頃名前はまだ携帯を持たせてもらえてなかったから連絡先も知らなくて、今時手紙のやり取りなんてかっこいいよね、なんて話をして住所を教えてもらって、僕の住所が決まったら手紙書くよ、なんて言って。
そうして僕は、大切な友人に別れを告げた。
北ドイツから南ドイツへ引っ越した。
ちょっとずつ言葉や習慣が違っていて不安にもなったけど、プロテストに受かってバスタード・ミュンヘンの一員になってからは、そんなこと気にもならないくらい必死だった。それにチームにはドイツ全土どころか世界各地から選手が集まってきていたから、ミュンヘンならではのギャップみたいなものはそこまで問題にはならなかったのもあると思う。
結局名前に連絡を取ることは減っていった。何度か手紙でやり取りはしたし、そのうち名前も携帯を手に入れたからメッセージも送りあっていた。だけど、名前はアビトゥアの準備で忙しくなり、僕はバスタード・ミュンヘンでの日々に――というか、あのプロテストで出会って、手を差し伸べてくれたミヒャエル・カイザーに応えようと必死だったから、なんとなく互いに遠慮して、疎遠になっていったんだと思う。忘れたわけじゃない。ただ、疎遠になった。
でも別に気にしてはいない。僕はカイザーを世界一にする、僕が彼に魔法をかけるという夢を追っていたし、アビトゥアを取るってことは名前は大学進学をするってことで(まあ、ギムナジウムに行ってる時点でそもそもそうなんだけど)、名前も言葉という魔法を追っているんだとわかっていたから。僕らの道はもう交わらないだろうけど、お互い満ち足りているならそれでいいじゃないかと思っていた。
オフ。
ミュンヘン中心部にひっそりと店を構える古本屋。めっきり本を読む量は減ってしまっているけれど、たまに無性にあの古い本の匂いが恋しくなる時があって、そういう時にここへ来る。ひっそり、とはいえハンブルクのあの古本屋よりは大きくて、いい感じに人の目が気にならない程度の規模ではある。
「……アレックス……アレクシス・ネス?」
本を探すでもなく本棚の間を歩き、なんとなく目についた本を手に取って開いていた時だった。驚いた声で控えめに呼ばれて振り向いた。ら、そこにはあの頃の面影を残した女性が――あの頃よりも大人になった彼女が立っていた。
「え、あ……名前……?」
それは紛れもなくあの名前・苗字だった。僕の記憶の中ではいつも本を読むのに邪魔そうにしていた長い髪が、幾分短くなっていて、あの頃には無かった眼鏡をかけている。服装なんかも含めて、いかにも真面目な会社員という感じだった。
「ごめんなさい、急に話しかけてしまって。そうじゃないかな、と思ったら考えるより先に呼びかけてしまいました。……あの、それじゃ、失礼します」
おそらく僕が驚いた顔をして固まっていたからなんだろう、名前は謝罪して踵を返そうとしていて、咄嗟に僕はその手首を掴んでいた。
「待って、待って名前。謝ることなんてない。びっくりして……昔のこと思い出しちゃっただけなんだ」
「……私のこと、覚えてたんですか?」
「忘れるわけないじゃないか! そりゃ、もう全然連絡もしてなかったし、その……連絡しよう、みたいなことにもならなかったけど。でもキミだってそうだろ? どうしてミュンヘンにいるの。こっちに住んでるの?」
また会えた機会に消えてほしくなくて、とりあえず話を続けなきゃ、と思った。なぜミュンヘンに、そしてこんな、地元の人しか知らないようなところに名前がいるのか気になったのももちろんあるんだけど。
「あー、今、私ミュンヘンの会社で働いてるんです。私も、あなたに連絡取ろうとか、その……思いつきもしてなくて……」
「ちょっと待って名前。なぜそんなによそよそしくするの。僕ら別に初対面でもなければ上司と部下でもないでしょ」
「……いや、だって……あなた、有名人だし」
「なんでそんなこと……昔あんなにたくさん一緒に遊んだのに。僕ら友達だったはずだろ? キミによそよそしくされると……すごく遠くなっちゃったんだって、寂しくなる」
同情が引きたかったわけじゃなくて、気がついたらそんなことを言っていた。「友達」と聞いてハッと顔を上げた名前はなんだか複雑な表情をしていて――僕は、キミのそんな顔を、知らない。
今の僕は、キミが何を考えているのかわからない。あの頃は全部通じ合っていたのに、時の流れってこんなに大きかったんだと思い知らされた。……もしかして、名前もそう思ってるんだろうか。だからこんなに他人行儀なんだろうか。
「名前。驚いたし、今の今までキミのこと思い出さなかったことは否定しないけど……でも僕は、またキミに会えて嬉しいと思ってる。話もしたいと思ってる。だって僕がハンブルクから引っ越してからもう……何年だろ、10年くらい経つんだ。積もる話だってある。……キミは?」
「……私だって……私も、会えて嬉しい。アレクシス・ネスのことはテレビの中継とかで見てるけど、なんだか違う世界の人みたいだったし。私、”アレックス”に会えて嬉しいよ」
よそよそしい口調を取り払った名前は一気にそう言って、やっぱりなんだか複雑そうな表情で少し笑った。
僕がたまたま本屋に来たのは別に欲しい本があったわけじゃなくただあの空間で落ち着きたかっただけで、名前もやっぱりそうだったらしい。立ち話もなんだからとカフェに移動して、改めて向かいに座る名前を見る。同い年なのに名前はやたら大人に見えて、逆になんだか僕は自分がやたら子どもっぽく見えているような気すらする。
「そんなに見ないでよ、そんなに疲れた顔してる?」
クリームの乗ったカフェラテを一口啜って名前が少し首を傾げて言う。その仕草が昔と同じで少し安心してしまった。
「あ、ごめん。なんか、キミは確かに覚えてるのと同じなのに、お互い大人になったんだなって。キミ、すごく大人っぽいというか、立派な社会人、って感じ。信頼できそう」
「ええ? 全然そんなことないよ。まだまだ新人。なのになーんかいっつも疲れてる気がして嫌なんだよね。アレックスはなんていうか、オーラがあるよね。さすがバスタード・ミュンヘンの選手って感じ」
懐かしそうに目を細める名前はやっぱりなんだかとても大人びている。
「背、思ったより高くてびっくりした……あ、変な意味じゃなくてね、覚えてる時よりずっと伸びてるし、それに、テレビで観てるとサッカー選手ってみんな背高いから。……試合、よく観てるよ。チームとしては、あの、HSV応援してるけど、選手なら君を一番応援してる。すごいね、あの『南の星Stern des Südens』の一軍選手なんて。ほんと、すごい」
名前は、連絡こそなかったものの気にはしていたようで、サッカーの中継はもちろん、僕の人生の大きな転機になったブルーロックTVもしっかり観ていたのだそうだ。正直、あの時のことは……本当に人生の転機だったから、あまり見られたくなかった僕の姿も含まれているのだけど。
「僕は僕のやりたいこと、できることをやってきただけ。そうしたらここまで来てたんだ。
ねえ、僕はキミの話こそ聞きたい。僕のことは……それこそブルーロックTVとかで結構いろいろ観れてただろうし……観て欲しいことばっかりじゃなかったけど。今ミュンヘンで働いてるって言ったよね」
「私の話なんて、なんにもおもしろいことなんてないよ。だって、私は……普通に大学に行って普通の会社に就職して、それが今。ミュンヘンには2年前から住んでるよ」
大きくため息をつくと、名前は僕をまっすぐに見つめて続けた。
「ねえ、アレックス。君は……すごいね。もう何年も君のサッカー観てるけど、いつでもキラキラしてる。もちろん、苦しいこともあるんだろうなとは思うよ、私だってもう子どもじゃないし、プロサッカーの世界が楽しいだけじゃないことはわかってる。それでもアレックスはずっと、魔法を忘れなかったんだね。沢山の人に、サッカーという魔法をかけてる。
それに引き換え、私は……いつの間にか魔法も信じなくなっちゃった。好きなこと学びに大学に行ったはずなのに、試験や論文に追われて。働き始めたら、いつも同じようなルーティンばっか。誰にも誤解されようのない正しい文書作って、それコピペしてまた同じようなの作って。私……いつの間にか、”灰色の男たち”と同じになっちゃった。――ああ、ほんとごめん。こんな話ばっかり。やっぱり声かけるんじゃなかった。私、君に合わせる顔ないなぁ」
寂しそうに笑う顔は、再開した本屋でのものと同じで。
ああ――そうか。
いきなり、名前のその表情の意味が腑に落ちた。年月を経て変わったことは当然ある。その中で、一番大きな変化が、”魔法”だったんだ。
「僕、……僕が、誰かに魔法をかけられていたんだとしたら、それは誰かが……キミが、僕の魔法を信じてくれてたからだ。確かにいろんな経験したし、サッカー辞めた方がいいのかもって思うこともあった。でもそれも含めて、僕の魔法でキミに何かを残せていたなら……それってすごく、嬉しいこと、だと思う。
今日、キミにまた出会えて良かった。僕のサッカー魔法を信じてくれている人に出会えたし、ハンブルクから遠く離れたこんな大きな街で、あの頃みたいにキミと話ができることも奇跡みたいなものだと思ってる。だから、声かけるんじゃなかった、なんて言わないでよ。
――ねえ、名前。”モモ”みたいにうまくできるかはわからないけど、僕、キミの話なら喜んで聞きたい。キミ、なんだかずっと寂しそうな顔してるの、気付いてる? 僕に全部話して。キミが寂しいと思う理由を僕に教えて。キミがなくしてしまった魔法を、キミがまた見つけられたら、その寂しさは埋められる? それに、キミが僕のサッカーを魔法って言ってくれるなら……僕の魔法ももっと見に来てほしい。画面越しのキミに何かをあげられてたなら、これからはもっと……もっと近くでキミに魔法をかけるから」
溢れそうな言葉をとりあえず口に出した。瞬きをして名前を見ると今にも溢れそうな涙を必死に堪えるキミがいた。
夜も更けてきたからその日はカフェでお開き。
また会おうね、いつでも連絡ちょうだい、と今の連絡先も改めて交換した。
今度は絶対連絡するからとお互いに約束して、それからはその約束通り、今日はこんなことがあったとか、あれが嫌だったとか、好きな作家の新刊出てたよとか、――ずっと前に途切れてしまった話の続きを、僕らはもう一度繋ぎ直していった。
「アレックス! 仕事辞めた!」
数ヶ月後、突然名前から電話があった。再会したあの日、浮かない顔をしていた彼女からは想像もできない晴れやかな声だった。
その後しばらくして名前は、彼女の好きな本を集めてゆったりとした時間を過ごせるブックカフェを始めた。これまでに盗まれた時間を取り返すのだそうだ。僕もたまに行っていて、カフェが暇そうなら名前と話をしている。
――”けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。”
ENDE.
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