宙を夢見て、故郷を飛び出して。なけなしのお金はすぐに尽きて、でも運良く探検家だという人に拾われて、今に至る。
僕も探検家になりたいんだと言ったら、彼は豪快に笑って、後に何も残してきていないのなら、それなら一緒に来るかと誘ってくれた。
星の海を行く船長は、決して道を間違えない。
それは、彼女がいるからだ。
彼女というのは、人ではなく(人のように見えるが、おそらく違うのだろう)、何か偉大な存在が作り上げたに違いない”羅針盤”のことだ。
彼女は船の中心、一番見通しの良い場所に置かれていて、その部屋の天井と壁は広く星々が見渡せるようガラス張りになっている。
拾われて最初の日、船長は僕を彼女に引き合わせた。
「やあ、”羅針盤”。調子はどうだい。新入りの紹介だ。こいつはイーライ。つい今しがた、うちの仲間になったんだ。良くしてやってくれ。」
船長はそれだけ言うとあとはお前次第だ、と言うように僕の肩を叩くと操舵室へと戻ってしまった。
——ガラスで隔たれているにも関わらず、彼女は圧倒的なオーラを放っている。
思わず立ち竦むと、その人は不敵な笑みを浮かべて僕を見下ろした。
「さあほら、そんなところにいないでその階段を上がっておいで。それは、私と話をするための階段なんだ。」
深く、耳に心地よいアルトが僕に話しかける。
「イーライと言ったな、どうした。私が恐ろしいか?それとも、旅路が不安か?」
正直、どちらもだった。そしてそれはすぐに、彼女にも見透かされてしまったらしい。
恐る恐る階段を上ると、真正面からその人と目が合った。
宝石のようにきらきらと輝くその瞳は、おもしろいものを見つけたと言わんばかりに僕を観察していて、けれどもそれだけではなく深い深い叡智を感じさせた。
「まずは自己紹介だな。私はこの船の羅針盤。それが私の意義であり名前だ。私のドレスを見てみろ、たくさん計器がついているだろう?これと、このガラス球の中にある道具全てを使って、この船の進路を割り出すんだ。
それで、君は?名前からもう一度聞かせてくれ。船長も言っていたが、君の口から聞きたい。」
彼女は自信に満ち溢れていて、僕はというと未だに彼女に圧倒されてはいたけれど、彼女の声や瞳に脅かすような色はなく、単純に新入りを知ろうとする先輩、といった風だったので幾分安心した。それに、意地の悪い人ではない、というのは直感的に感じ取れた。
「はい。僕はイーライ。今朝、船長に拾われたんです。……」
どうしよう、もう話すことがない。僕は別に、何かを成し遂げて来たわけでもないんだ。
「ほう。それでイーライ、なぜ拾われたんだ?」
「それは……」
「誇れるような理由ではないのだな?大丈夫、あの男が拾ったんだ、そのことに価値がある。お前はあの船長にとって拾うに値する男だったということだ。
まあそもそも、拾う、というあたりからして、身一つで宙へ上がったが諸々が尽き果てた、といったところか。」
「……はい。」
さすがの思考処理能力と言うべきだろうか。僕のことなんてお見通しみたいだ。
「恥じることはない。身一つでも宙へ上がろうという気概があるのだから。それ程までに宙に惹かれたのだろう?探検家というものは得てしてそういう人種だし、そうでなければ面白くない!
良いだろう、この”羅針盤”、君を歓迎しよう。さあ、ガラスに手を当ててくれ。握手の代わりだ。」
そう言うと”羅針盤”はガラスで隔たれた僕の前に手を差し出した。それに合わせるように僕もガラスに手を当てる。
冷たいガラスは触れた彼女の体温で温まっていて、確実に温もりを僕に伝えてくれた。
僕の掌も、そうやって彼女に伝わっているんだろうか。
「そういえば……あなたには”羅針盤”以外の呼び名はあるの?」
いくらか打ち解けた後、僕は彼女に問うた。すると彼女は怪訝そうな顔をして否定する。
「いいや、無いが?それがどうした。私は羅針盤で、それ以外の何者でも無いのだから。」
「それなら、あなたに名前をつけても良いかな?”羅針盤”、なんて、それは機能のことであってあなた自身の名じゃないよ。」
「ほう?なるほど、そう言われてみれば。
——良いだろう、私も他のちゃちな羅針盤と同じにされるのは嫌だったのだ。
だが心して選べよ、私にふさわしい名を与えておくれ。」
……もしかして、僕は今ものすごく大それた、しかも責任重大なことを言ってしまったのだろうか。一瞬後悔のようなものがよぎったものの、ここで断って彼女に幻滅されるのは嫌だった。
「じゃあ、少し時間をください。思いつきで適当な名前を付けるのは嫌だから。」
そこから、僕の悩みの日々が始まった。
そしてそれは、彼女がどれだけ優秀かを見せつけられる日々でもあった。
遠い星々の波を見、航路を計算し、時空の嵐を読み切る。彼女はまさに、世界に二つとない存在だった。
——その彼女に、僕なんかが名前を付けるだなんて。船長に相談しても、今までそんなことを誰も考えつかなかった、お前がやるべきだしお前にしかできないと言われてしまって。
なら、やってみるしかないじゃないか。
「リュミエール。リュミエール・ド・シリュース、というのはどうかな。最も明るい星の名前だよ。あなたは僕たちの光、先の見えない旅路を照らすたったひとつの光なんだから。」
たっぷり2週間。思えばずっと、それこそ寝ている時だって彼女と彼女の名のことを考えていた気がする。
そして最後に決めたのが、宙で最も明るい青い炎、知らない者など居ないあの星と、その光だ。あとは、彼女が気に入ってくれるかどうか、なんだけど。
「——リュミエールか。うん、悪くない。」
そう言うと羅針盤は何度かその名を反芻する。
「リュミエール・ド・シリュース、気に入った、実に良い名だ。君に感謝を。そして我が名にかけて誓おう。この先がどんなに暗い星々の影でも、どんなに深い迷いの海でも、我が叡智の光が君を導こう!」
彼女の誓いに呼応するように、ぶわりとリュミエールの髪がなびいた。ドレスの計器も輝きを増したようだ。どこからとなく青い鳥が舞って、彼女の肩に緩やかに着地した。
以来、”羅針盤”は船のみんなからリュミエールと呼ばれるようになり——というか、リュミエールがそう呼ばれないと気分を損ねた——晴れて僕も、リュミエールが認めたなら、と名実共にこの船に受け入れられた。
リュミエールがさらに張り切って力を発揮するようになったのは言うまでもない。
☆☆☆
さて、僕とリュミエールの出会いについてはここまでだ。ええと、なぜ今ごろになっていきなりこれを書こうと思ったんだったか。
ああそうだ、あの頃の僕はまだ日記を書いていなかったんだ。記録も兼ねて、これは書き残しておくべきだと思ったんだった。だってリュミエールとの出会いが僕の人生を変えたんだからね。
のちに僕は、船長からこの船とリュミエールを受け継いだんだが……それはまた別の物語だ。知りたいなら、僕の日記を読むといい。旅したことは全て書き記したからね。
新暦763年10月26日
コーデ画像はSSの元になった1つではありますが、実際にイーライなんかが登場するコーデはフォロワー様が組んでくださったものなので掲載はしておりません。