月明かりで目が覚めた。
これまでにないほど気分が良く、なにより体が軽い。
思わずベッドから降りて窓辺へと歩み寄る。幼い頃から病弱で、ほとんどベッドから出たこともない、ましてやまともに歩けたことなど皆無に等しいというのに。——特に昨日など、意識すら保っていられないほど状態が悪かったというのに。
月明かりに照らされた屋敷の外は、彼女の知っている庭とは全く違っていて——そこにあったのは、一面の静かな花畑。確かにそこにあるのに、瞬きをするとふわりと消えてしまいそうな花々だった。
急いでクローゼットを開け、外に出られる服を探す。あの美しい花畑に、まさか寝間着のまま足を踏み入れるわけにもいかない。しかし出てくるのは、今彼女が身につけているのと同じような服ばかり。それもそうだ、だって彼女が今までどこかに出かけられたことなどないのだから。
それでもようやく、クローゼットの1番奥からよそ行きのドレスや帽子、靴なんかを見つけ出し、精一杯にめかしこむ。
十数年を経てようやくその役目を果たした姿見の前に立ち、彼女はくるりと一回転した。大丈夫、歩ける。それどころか走り出せそうなくらい。
部屋のドアをそっと開け、寝静まった屋敷の廊下を進む。玄関にたどり着き、外へ通じる扉を開くと、あまりの明るさに目が眩んだ。月明かりと、それを受けて輝く花々のせいだ。
ふと扉のそばに目をやると、黒い日傘が立て掛けてある。彼女の出で立ちに良く合った、美しい傘だ。
ちょうど良いわ。彼女は迷わずそれを手に取り、優雅な仕草で傘を開いた。
それにしてもこの日傘、いつか窓から見たお葬式で女性たちが差していたものがこんな感じだったわ。誰かのお葬式でもあったのかしら。
ちらりとよぎった考えは、しかしすぐに消えた。花畑への一歩を踏み出した時、彼女の足の先に花々で彩られた階段が現れたからだ。
階段は霞を集めたように透きとおり、淡い光を放つ。その先には明るい三日月が見えた。
迎えが来たのだと、彼女は気づく。この階段を登れば、もう戻っては来られないだろうと、彼女の感覚が告げている。
幼い頃から、そう遠くない未来にこの時が来ることは覚悟していた。まだ少女と呼ばれる年齢を脱してもいないのに、彼女は覚悟してしまっていた。
だから、彼女は自分に心残りなどない。
一度だけ屋敷を振り返り、穏やかな微笑みを湛えた少女は、軽やかな足取りで階段を登り始めた。
データをなくしてしまったので画像はありません。