「気をつけなさい。あなたのその考え方は、危険な思想ですよ。」
博士論文を書いていた時、そう言われた。
この国では、信仰に反するもの、それだけならまだいい、信仰に疑義を抱かせるものは一纏めに危険思想とされる。
俺がそれでどうしたか?——撤回などするわけがない。俺の思想は俺だけのもので、誰に強制される謂れもないし、俺がこれまで積み上げてきた思想の集大成とも言える研究結果を白紙に戻すようなものだ。
そして俺は大学にはいられなくなった。もちろん就職先など無い。
残ったのは誇りだけ。博士号の称号も、金も、未来も、掴めそうなところからするりと抜け落ちていった。
誇りだけは失うまいと、しかし途方にくれていた時に迷い込んだのがこの博物館。
ここに展示されているものを見て、ああ、俺はもう元の生活には戻れないと確信した。
考えてもみてくれ。人魚に死神、魔女に異種族間の愛……俺の故郷では倫理的・道義的に許されざるものも、ここでは分け隔てなく貴重な美術品として扱われているのだ。それだけじゃない。全ての美術品が持つ圧倒的な美しさ。ただ美しい、それだけを最高の基準として選び抜かれた数々の品。
ここに居たい。いや、もう俺には、ここにしか居場所などないと思った。そしてそう思うと止まれなかった。博物館中を、館長を探して回ったのだ。
「僕を、ここで働かせてください。」
完璧に手入れされた中庭の東屋で、ようやく館長を見つけてそう言った。言った瞬間、涙が溢れたのを、今でもはっきりと覚えている。展示品に圧倒されたこと、今までの人生とか、研究とか、色々な思いが混ざり合っての涙だったのだと思う。
館長はしばらく、その月の瞳で俺を見つめた後、ゆったりと微笑んで、俺を受け入れることを決めた。
それからどれほどの月日が流れただろう。
今や俺は副館長の地位まで預かっている。……俺しかいない、というのが本当のところだ。ルーチェやアシュリーは俺より前からここに居たが、彼女たちは……事務仕事は向いていない。それが彼女たちのいいところでもあるのだが、自分の世界に没頭しすぎるのだ。
というわけで俺が、……館長に言わせるところの一番まともに見える俺が、副館長として博物館の運営やら事務やらを引き受けている。
嫌ではない。むしろ、俺を信頼して留守を任せてくれる館長には感謝しかない。
自分の専門分野の知識も、学芸員として役立てられている。何より、この美しい展示品のそばに居られるというのは何という僥倖なのだろう。
ここはどこでもない博物館。何人も、何かに縛らることのない場所だ。
学芸員 ルイ=アルベール・ブランシュ
学芸員兼副館長。留守が多い館長と、ふわふわした人間が多い学芸員に囲まれた常識人。事務仕事はピカイチだし専門分野に対する知識も群を抜いている。一人称は俺だけど仕事中は僕。専門は考古及び建築、彫刻。博物館でただ1人、自分から志願して学芸員になった。