Dream, Short

心臓に神様のしるしをつけたい

お題はこちらからお借りしました。→https://yorugakuru.xyz/

フォロワーさんに、お題と自分のところの夢CPを指定してもらい、それでSSを書くという遊びをやっています。その一つです。


人が神になる、というのは、名前にとっては特に奇異なことではなかった。そんな例は神社に行けば枚挙に暇がない。日本の出身ではないカルデアのスタッフたちにそれを言うと、大抵驚いた顔をされるが、実際”身近”なのだから仕方がない。
 だから、彼女が英霊をある種の神だと捉えるのは自然なことだった。ただし、身近だからといって、気軽だというわけではない。元が人だろうと何であろうと、神様は神様だった。

 名前は自分が本命でないことなど理解しきっている。藤丸立香をサポートするための臨時マスター。過不足なくその役目を理解し、納得している。その臨時マスターが、まだカルデアの誰も喚べていない英霊を引き当てた。そういう事情もあって、彼が――アキレウスというその英霊が、名前にとっての特別になるのも、至極当然だった。

 何度も遠ざけようとした。臨時の自分ではなく、藤丸のところへ行くようにと、遠回しに、直接に、何度も言ってきた。しかしアキレウスはいつだって、名前のその申し出を頑として容れようとはしなかった。
「俺のマスターは、あんただ」
 あの閃光のような強い目で言われては、名前だって何も返せなくなる。それをいいことに、あの人類最速の英雄はしたり顔で笑うのだ。そうだ、それでいい、とでも言うように。

 その言葉がもっと欲しいと思うようになったのは、いつだっただろう。
 確かなきっかけがあったわけではない、と思う。気づけばあの目に映りたいと思っているし、”特別”になれたら、などと考えてしまうことも増えた。同時に、弁えろと頭の中で釘を刺す声も大きくなる。相手は神様だ。お前はサポート役だ、と。
 幾度もそんな問答を自分の中で繰り返して、ある日、弾けた。

「藤丸先輩のとこに行きなよ」
 もう何度目になるかなんてわからない。名前が離れろと言い、アキレウスが嫌だと言う。嫌だと言うアキレウスを、仕方ないという体で受け入れて、それで話は終わる。ある種のルーティンのようなもの。きっと、それで互いに”自分の”マスターとサーヴァントであるということを確かめ合っている。いつも通りのやりとりのはずだった。しかし今日は違った。何かはわからないが、何かがアキレウスの癇に障ったらしい。名前が言いながら彼を手を伸ばしたのを見て、咄嗟にアキレウスはそれを掴んでいた。そのまま何かに駆られるように、背後の壁に名前を縫いとめる。
「マスター!」
 アキレウスはしかし、それだけ言うと口を噤んだ。いつもより遥かに強く、そのせいできらきらと光っているようにも見える金色の双眸が、言葉にならないものを抱えて名前を凝視していた。

 しばらくして、名前を縫いとめる力が少し弱められる。苛烈な金色を宥めるように、その目が一度閉じられる。そしてまた開かれた時、その苛烈さに穏やかな熱が加わっていた。その一部始終を間近で見せられて、名前が動けるはずもない。

「マスター」
「俺の、マスター」
 お前は特別だと如実に訴える声音と視線に、胸の奥が熱く塞ぐ。
「逃げるなよ」
 逃げたい。逃げたくない。相反する感情を持て余して、身動きなんて取れなかった。
 手綱を握り、槍を振るう男の筋張った指が、先ほどとは打って変わって、壊れ物でも扱うかのように名前の頬に触れる。
 今にも相手を射殺しそうな強い目をしているくせに、こんなにそっと触れるなんて。名前の頭の少しだけ残った冷静な部分が笑う。――自分でも驚くほど柔らかな笑みだった。それで肩の力が抜けたことは、アキレウスにも伝わったらしい。差のある身長を埋めようと、身をかがめて寄り添おうとするのが感じられた。

「——名前、です」
 今にも触れそうな唇を、寸前で留めて呟いた。
「マスターじゃなくて、私の名前——父と母から、与えられた名前」
 それを聞いたアキレウスは、心底嬉しそうに目を細めて――ついでににやりと口角を上げて、たった一言、その名を呼んだ。
「名前」
 その、甘くとろけるような響きに、息が詰まった。初めて呼ばれたわけでもなく、ただ自分の名前を口にしただけだというのに、なぜ今、彼が口にしただけで、これほどまでに狂おしいのだろう——
 心地よい息苦しさを抱えて、頬に優しく触れるアキレウスの指先を感じながら、今度こそ名前は目を閉じて相手の唇に自分の唇をそっと重ねた。

 暫くして、アキレウスは至近距離でほんの少し息をついて、隙間を埋めるように名前の身体を抱きしめた。もとより英霊で、しかも戦場を駆ける偉丈夫だ。名前には少し苦しくもあった。
 その逞しい腕と体に挟まれて、暖かさと、熱さと、そしてアキレウスの心臓の鼓動を感じる。もしかしたら、自分の鼓動かもしれなかった。しかしそんなことはどうでもいい。確かに言えるのは、今この瞬間、自分たちはこの鼓動を共有しているということだった。
 この英霊神様とともに生きるということは、この”人”の鼓動を、刻みつけることだと。アキレウスの腕の中で、名前はぼんやりと確信していた。
 ……泣きたくなるような心地がした。


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