Dream, Short

FALLING

直接的な描写はありませんが、やることやってるのでR-18としています。18歳未満の方の閲覧は禁止です。

※エルヴィン団長が亡くなったあたりから原作読めてません。そこまでの知識で書いています。


 その晩は土砂降りだった。雨粒がひっきりなしに窓ガラスを伝っている。
 そんな中、ほとんど真っ暗と言っていい部屋に、二人の男女の荒い息遣いが響いていた。女はベッドのシーツを握りしめ、男は女に覆いかぶさっている。
 欲望のままに求めあっている二人だが、どこか、何かを忘れようとしているような、救いを求めているようでもあった。

 ——最低だ。
 ——こんな、慰めとしての行為を。

 ——最低だ。

 喘ぎ声が一層大きく、切羽詰まったものになり、やがて二人は動きを止めた。互いに交わらない息を吐いて、呼吸を落ち着かせようとする。

「すまない」
 エルヴィン・スミスはまだ少し整い切っていない息と声で、自分が組み敷いている人物に声を掛けた。その人物——名前・苗字はまだ荒い息をついていた。腕を自分の目の上に置いているので、表情が読めない。
 エルヴィンは体を起こし、そばにあったタオルで彼女の体を拭う。
「すまない……」
 そうしながら呟くようにもう一度、エルヴィンは名前への謝罪を口にする。
「……謝らないで……私だって、申し訳なく思ってるんだから……」
 名前は腕を目の上にやったまま答えた。
「いや……しかしやはり……」
「謝られたら、もっと惨めになるじゃないの……無理矢理だったわけじゃない。お互い、わかってたことでしょ」
「……君は、いつでも冷静だな」
「冷静なのは、あなただってそうでしょう」
「しかし……」
「ええ。……冷静だったら、こんなことしてないわね、私たち」
 ふっと押し黙る。
 やがて、腕をどけた名前は苦しいような、悲しいような、複雑な表情で言った。
「ねえ、エルヴィン。これはお互いにとっての慰めよね。明日の朝になれば全部元どおり、いつも通りの私たちよ。……だったら、慰めだって言うんなら、朝までは慰めてくれるのよね?」
「君が、俺にもそうしてくれるのなら。今日のことを、忘れさせてくれるなら」

 複雑さを増した名前の瞳。それを見ながら、エルヴィンは彼女を抱きしめた。

 ——忘れられるだなどとは、思っていない。忘れてはいけない。しかし。
 ——そう、これは慰め。お互いにとっての慰め。明日になったら、しっかりと向き合わなければならない。

 あの壁外調査に——


 その日はエルヴィンと名前が分隊長になって初めての壁外調査だった。さらに、今期訓練兵団を卒業した新兵を初めて伴っての調査である。
 出発前からどんよりと雲が垂れ込め、夕方に帰還するまではきっと持たないだろうと思われたが、案の定壁外で雨が降り出した。霧も出始めたので、目的の地点まではまだ少し距離があったのだがキース団長は撤退の号令をかけた。

 帰路は悲惨だった。降り出した雨が土砂降りに変わり、ミルク色の霧が視界を遮る。そんな中で調査兵団は巨人の群れに襲われたのだ。
 最初に遭遇したのが奇行種だった。霧の中から突如現れたその奇行種にまず新兵が恐慌状態に陥った。どうにか隊列を組み直そうとしていた分隊長以下、ほとんどの兵士がそのパニックと天候のために気付かなかった。巨人の群れが接近していることに。
 そして、調査兵団は巨人の群れに襲われた。雨が降っているせいで煙弾も使えず、混乱を極めた兵団の中では団長の指示も満足に通らない。熟練度の高い兵士までもが自暴自棄になり、そして殺されていく。散り散りなった兵団を必死の思いで壁に向かわせながら、団長キースと4人の分隊長はかつてない恐怖を感じていた——調査兵団が壊滅するという恐怖を。

 ようやくの思いで壁内に帰還した調査兵団の有様たるや、惨憺たるものだった。
 4つの分隊はそれぞれ半数以上の兵士を失っていた。一番酷かったのが右翼後方に位置していた分隊で、3分の2以上もの兵士と、分隊長自身が帰らぬ人となった。新兵に至っては、生存者は数名という状況だ。しかもその全員が負傷している。
 まさに壊滅状態と言っていい敗北だった。これだけの人員を失い、さらに何の成果も得られなかったというのはここ十数回の壁外調査の中でも最悪の結果だった。

 エルヴィンと名前は、ずっと降り続いている雨に打たれながら馬を厩舎に連れて行き、水と飼葉を与えて、また雨に打たれながら調査兵団の建物に戻る途中だった。分隊長が自ら馬を厩舎に戻して世話をすることはあまりない。しかし今は人が足らなすぎるのだ。動ける者ができることをしなければならない。
 二人は無言で肩を並べて歩いていた。何か考え込んでいるようで、それでいて実際は何を考えていいのかもわかっていないのかもしれなかった。
「……」
「……」
 ゆらりと、二人の足が止まる。前方からキースが歩いてくるのが見えたのだ。同じように雨に打たれている。
「団長」
 声を掛けたのはエルヴィンだった。
「エルヴィン……名前……、……今日はもう休め。報告やその他は明日だ」
 それだけ言うとキースは手で顔を覆いながら二人のそばを通り過ぎて行った。その背中を、エルヴィンとソフィアは複雑な思いで見つめる。第12代調査兵団団長たる人物の背中は、あんなにも小さかっただろうか。

 しばらくキースの歩き去った方を無言で眺めていた二人だが、ふと名前が雨にかき消されてしまいそうな暗い声で休まなきゃね、私たち、と呟いた。
 そこに不思議な、それでいて身近な響きを感じたエルヴィンは名前を見たが、自身の影に隠されてしまっていて表情が見えなかった。
「そうだな……」
 そうしてまた歩き出した二人の胸中には、何か黒くて大きな塊のような感情が芽生えていた。


「ごめんなさい、ごめん、エルヴィン、……だけど今日はもう……だめなの、今回のこと、どうにも処理しきれない——」

「ああ、すまない、俺の方こそすまない。名前……今日だけは、思考を放棄させてくれ——」

 相手の考えていることはよくわかる。自分たちは似たもの同士なのだから。
 それならば……お互いに抱いているものが同じなのならば——慰め合いだって、傷の舐め合いだって、できるはず。

 夜が明ければ無情な現実と向き合う時が来る。しかし自分たちはそれを越えてゆける。越えて行く。その確信が、二人にはあった。非情な決断も、迷わずに下す自信がある。

だから今夜、全てを封じ込めるのだ。


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同調する心音

お題はこちらからお借りしました。→http://4minutes.web.fc2.com/

名前変換ありません。


 主旋律だけじゃ味気ないし、伴奏だけじゃ全体が見えない。
 人間関係に主旋律も伴奏もないけれど、どちらかだけじゃ成り立たないのは音楽と似てるいるんだなと、最近思う。

 私は背が高い方ではあると思う。
 でも紅郎くんの方がずっと高い。
 手も結構大きいと思うけど、紅郎くんの方がやっぱり大きい。
 目線の高さも違えば、歩幅も違う。目標だって、私はピアノだし、紅郎くんはアイドル。だから私たちが見ているものはいつも違っていて、でもそういう距離感が心地いい。紅郎くんもきっと、そう思ってくれてるんじゃないかな。そんな気がしてる。

 きっとそう。きっとわかってくれてる。いつもそう思ってしまうから、あまりたくさん言葉で伝えるってことを、私たちはしないけど。
 手が当たるのはきっとわざと。
 わざとではないけど、そういう気分の時はよく当たると思う。
 紅郎くんもそれをわかっていて、少し手が触れるとちょっとこっちを見て、微かに笑って手を握ってくれる。

 そういう顔、すごく好きだなって、私、言ったことあったっけ。

 そう思っていたら、少し手に力をいれていたみたいで、紅郎くんの大きくて硬い手のひらが、ぐっと強く握り返してくれた。
 意識すれば鼓動はいつもより早くなる。きっと紅郎くんもそう。でもそれが少しくらいずれていたっていい。
 ――右手のメロディと左手のアルペジオが、1小節ごとにぴたりと重なることを、私は知ってるから。


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こころの隅に錆を飼う

お題はこちらからお借りしました。→https://yorugakuru.xyz/

ジークフリートさんが冤罪で国を追われた直後くらいの話。

ジークフリートさん夢主は過去に大事な人を手にかけている設定があります。似たようなものを抱えた者同士の傷の舐めあい。


 心というものは、柔くまるく、つやつやとして美しいものだそうだ。
 だからこそ欠ければ鋭く、朽ちもすれば錆びもする。

 あの時以来――おそらく私の、そう、心はどこか欠けてしまったのだろう。
 そこから、血なのか涙なのかは知らないが、何かが流れ込んだらしい。欠けた場所からぎざぎざと錆びていくようだ。

 だがそれを自覚できる分、私はまだ恵まれているのかもしれない。

 ”それ”は欠けているだとか、錆びているだとか、そんなこととは無縁でそこにいた。まるで、心など――それどころか、内面など全て無くして外側だけが残っているような暗さでここに辿り着いた。黒衣を纏っていたということもある。しかし、壮絶な絶望感に塗りつぶされた彼は、比喩ではなく、正に真っ暗闇だった。

 剣を向けたのは義務感と焦燥、そして哀れみからだ。常ならば口を開く間もなく捉えているというのに、この時ばかりは誰何した。
 焦っていたからだ。彼に仕掛けられれば、今の私では心許なかった。だから対話の道を探した。
 哀れみもあった。彼に対してではない。私自身に対してだ。立て続けに忠騎士と名高い騎士を相手取るなど、何と哀れな巡り合わせか、と。

 それから話を聞くうち、彼を助けることが贖罪になりはしないかと浅ましくも考える自分に気付いた。
 私の罪は、私がこの先ひとりで背負っていくものだというのに。贖罪の道を探すなど、なんと烏滸がましいことか。無理矢理その考えを思考の渦に溶かし込み、目の前の、今にも暗闇に消えてしまいそうな友人を繋ぎ止めることに腐心する。

「まだ、錆びて朽ちるわけにはいかないのだろう」
 溢れた言葉は、誰に向けたものだったのか。


「まだ、錆びて朽ちるわけにはいかないのだろう」
 問うように、言い聞かせるように小さく吐き出された言葉が、やけにはっきりと耳に届いた。あれ以来、どうにも音を拾うのが億劫だった耳に。
 隣に座る女も、同じように錆びついたものを抱えている。不意にそう思えて目を上げると、同じようにこちらを覗き込む名前と目が合った。
「冷める前に飲むといい」
 それを何ととったのか、彼女は目の前に置いてあったマグカップを渡してくる。甘い香りが立つココアに、溶けかけたマシュマロが2つ浮かんでいた。
「ココア……?」
「なんだ、コーヒーの方が良かったなら淹れてくるが」
「いや……これでいいさ」
 彼女は少し笑ったようだ。声はしなかったが空気が揺れ、次いで衣ずれの音がして、背中に腕が回される。子どもをあやすように何度か叩かれた。
「ここにいる間の安全は保証する。さっさと飲んで、さっさと寝ろ」
 存外に静かな声だった。

 同情など、願い下げだった。
 それでも先ほどの名前の、心が欠け落ちるような言葉は――同じものを抱えた彼女の共感は、不思議と自然に受け入れられた。
渡されたマグカップに口をつける。
 ココアの温かい甘さが冷えた体に沁み入る心地だった。
 すぐ横からも、こくりとココアを飲み、それからほっと息をつく音が聞こえる。

 錆びた場所から朽ち果てることもあれば、歪なものが寄り合って何かが生まれることもあるのだろう。
 先のことなど何も見えなかったのに、そう思えた夜だった。


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すべて奪われたかった

お題はこちらからお借りしました。→https://yorugakuru.xyz/

not審神者。別れ話です。「いつか私を忘れる背中」の夢主視点。


  光忠さんが私を呼ぶ声はいつだって優しい。
 私、名前って名前、別に嫌いじゃないけど、なんだか気取ってるっていうか、ちょっと尻込みしちゃうみたいなところがあったの。だけど光忠さんがたくさんたくさん呼んでくれたから、なんだかちょっとくすぐったいけどすごく素敵な名前に聞こえちゃった。
 私のことちゃんと見てくれて、嬉しいことがあったらかっこよくて優しい笑顔で一緒に喜んでくれたし、辛いことがあったらぎゅっと抱きしめて慰めてくれた。
 うちでご飯食べたのも、2人で旅行したのも、一緒にいたこと全部、一緒にしたこと全部楽しかった。
 だからね、私、光忠さんだったら、よかったの。……というか、光忠さんじゃなきゃこんなこと思わなかった。
 たくさん、本当にたくさん、いろんなものを貰ったから。あなたになら、全部、奪われたってよかったし、何なら無理やり奪ってほしかった。
 でもわかってる、本当にそう言われたら、私は多分怖気付いていたし、光忠さんは優しいから――私を怖がらせるようなことは、言わないの。

 そういうところ、大好きです。


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いつか私を忘れる背中

お題はこちらからお借りしました。→http://struin.58031.xrie.biz/

not審神者。別れ話です。


 かわいくて、愛おしい、僕の大切な恋人。
 その人が、目に涙をいっぱいにためて僕に向き合っている。それを僕は、どこか遠くから見ているかのように、現実感を持てないままに見つめていた。

 どこで間違えたのだろう。

「光忠さんのこと、大好きです」
 それなら、どうして。(うん、わかっているんだよ、そんなこと、僕にも。)

「ありがとうございました」
 間違えた、のではなくて。そう、どこかでわかってたんだ。
 どんな形でだって、いつかはこうやってお別れしなきゃいけないことを。

 僕はきちんと言葉を返せているのかな。
 相変わらず現実感のない頭では、自分自身の言葉すら拾えない。ねえ、名前ちゃん、僕は今、どんな顔をしているんだろう?

 最後に泣きながら笑って、名残惜しそうに背を向けて。でもその後は決して振り返らずに、名前ちゃんの後ろ姿がだんだんと小さくなっていく。
 同じように、名前ちゃんの中で僕はだんだん小さくなって、きっといつかは忘れてしまうのかな。

 そう思えば不意に視界がぼやけて、そこに、名前ちゃんの帰りを待ちながら、二人分のご飯を作った台所の情景が重なった。ああ、ご飯一緒に作ったこともあったよね。
手を繋いで歩いた町並み、一泊二日で旅行したこと、……「好きだよ」って言ったら、「嬉しいです」って返してくれた時の、あのまぶしい笑顔。
 僕ら二人で積み重ねた思い出が、次々に浮かんでは消えていく。
 そういうの、確か走馬灯のようだ、と言うんだったっけ。

 ああ、そっか。
 今、僕の恋が、死んだ。


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心臓に神様のしるしをつけたい

お題はこちらからお借りしました。→https://yorugakuru.xyz/

フォロワーさんに、お題と自分のところの夢CPを指定してもらい、それでSSを書くという遊びをやっています。その一つです。


人が神になる、というのは、名前にとっては特に奇異なことではなかった。そんな例は神社に行けば枚挙に暇がない。日本の出身ではないカルデアのスタッフたちにそれを言うと、大抵驚いた顔をされるが、実際”身近”なのだから仕方がない。
 だから、彼女が英霊をある種の神だと捉えるのは自然なことだった。ただし、身近だからといって、気軽だというわけではない。元が人だろうと何であろうと、神様は神様だった。

 名前は自分が本命でないことなど理解しきっている。藤丸立香をサポートするための臨時マスター。過不足なくその役目を理解し、納得している。その臨時マスターが、まだカルデアの誰も喚べていない英霊を引き当てた。そういう事情もあって、彼が――アキレウスというその英霊が、名前にとっての特別になるのも、至極当然だった。

 何度も遠ざけようとした。臨時の自分ではなく、藤丸のところへ行くようにと、遠回しに、直接に、何度も言ってきた。しかしアキレウスはいつだって、名前のその申し出を頑として容れようとはしなかった。
「俺のマスターは、あんただ」
 あの閃光のような強い目で言われては、名前だって何も返せなくなる。それをいいことに、あの人類最速の英雄はしたり顔で笑うのだ。そうだ、それでいい、とでも言うように。

 その言葉がもっと欲しいと思うようになったのは、いつだっただろう。
 確かなきっかけがあったわけではない、と思う。気づけばあの目に映りたいと思っているし、”特別”になれたら、などと考えてしまうことも増えた。同時に、弁えろと頭の中で釘を刺す声も大きくなる。相手は神様だ。お前はサポート役だ、と。
 幾度もそんな問答を自分の中で繰り返して、ある日、弾けた。

「藤丸先輩のとこに行きなよ」
 もう何度目になるかなんてわからない。名前が離れろと言い、アキレウスが嫌だと言う。嫌だと言うアキレウスを、仕方ないという体で受け入れて、それで話は終わる。ある種のルーティンのようなもの。きっと、それで互いに”自分の”マスターとサーヴァントであるということを確かめ合っている。いつも通りのやりとりのはずだった。しかし今日は違った。何かはわからないが、何かがアキレウスの癇に障ったらしい。名前が言いながら彼を手を伸ばしたのを見て、咄嗟にアキレウスはそれを掴んでいた。そのまま何かに駆られるように、背後の壁に名前を縫いとめる。
「マスター!」
 アキレウスはしかし、それだけ言うと口を噤んだ。いつもより遥かに強く、そのせいできらきらと光っているようにも見える金色の双眸が、言葉にならないものを抱えて名前を凝視していた。

 しばらくして、名前を縫いとめる力が少し弱められる。苛烈な金色を宥めるように、その目が一度閉じられる。そしてまた開かれた時、その苛烈さに穏やかな熱が加わっていた。その一部始終を間近で見せられて、名前が動けるはずもない。

「マスター」
「俺の、マスター」
 お前は特別だと如実に訴える声音と視線に、胸の奥が熱く塞ぐ。
「逃げるなよ」
 逃げたい。逃げたくない。相反する感情を持て余して、身動きなんて取れなかった。
 手綱を握り、槍を振るう男の筋張った指が、先ほどとは打って変わって、壊れ物でも扱うかのように名前の頬に触れる。
 今にも相手を射殺しそうな強い目をしているくせに、こんなにそっと触れるなんて。名前の頭の少しだけ残った冷静な部分が笑う。――自分でも驚くほど柔らかな笑みだった。それで肩の力が抜けたことは、アキレウスにも伝わったらしい。差のある身長を埋めようと、身をかがめて寄り添おうとするのが感じられた。

「——名前、です」
 今にも触れそうな唇を、寸前で留めて呟いた。
「マスターじゃなくて、私の名前——父と母から、与えられた名前」
 それを聞いたアキレウスは、心底嬉しそうに目を細めて――ついでににやりと口角を上げて、たった一言、その名を呼んだ。
「名前」
 その、甘くとろけるような響きに、息が詰まった。初めて呼ばれたわけでもなく、ただ自分の名前を口にしただけだというのに、なぜ今、彼が口にしただけで、これほどまでに狂おしいのだろう——
 心地よい息苦しさを抱えて、頬に優しく触れるアキレウスの指先を感じながら、今度こそ名前は目を閉じて相手の唇に自分の唇をそっと重ねた。

 暫くして、アキレウスは至近距離でほんの少し息をついて、隙間を埋めるように名前の身体を抱きしめた。もとより英霊で、しかも戦場を駆ける偉丈夫だ。名前には少し苦しくもあった。
 その逞しい腕と体に挟まれて、暖かさと、熱さと、そしてアキレウスの心臓の鼓動を感じる。もしかしたら、自分の鼓動かもしれなかった。しかしそんなことはどうでもいい。確かに言えるのは、今この瞬間、自分たちはこの鼓動を共有しているということだった。
 この英霊神様とともに生きるということは、この”人”の鼓動を、刻みつけることだと。アキレウスの腕の中で、名前はぼんやりと確信していた。
 ……泣きたくなるような心地がした。


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2020瀬名泉誕生日

夢主は大学生、一人暮らし。


「今からそっち行ってもいい?」
 スマホにメッセージが入ったのは23時35分。今どこ、と返せばすぐに、これからESを出るところだと返信がきた。
「いいよ、待ってる」
 それじゃあうちに着くのは0時回っちゃうね、でもきっと泉くんだってそれはわかってる。
 海を隔てた遠恋だとか、たまに帰国した時も一緒に出歩けないとか、寂しいと思うことはよくあるけれど、今さらそれをどうこういうつもりもない。泉くんに泉くんの夢があるように、私には私の夢があるし、それを邪魔することはしないと決めたのは私たちふたり。忙しい合間を縫って時間を作ってくれるだけで充分だ。

 0時12分、インターホンが鳴る。
 合鍵は渡していない。彼は基本的に海外だし、その間に私が引っ越すこともあり得るだろうから。実際、春に私がこのマンションに引っ越してから、泉くんが訪ねてきたのは今日を入れて数回だ。
「おかえりなさい」
 ドアを開けて彼を迎えると、泉くんはちょっとびっくりしたような顔をしたあと、少し口角を上げて、ただいまと言いながらドアを閉めて鍵をかけた。
 ——ああ、そういえば「おかえりなさい」と言ったのは今日が初めてかもしれない。

「遅くなってごめん」
 いろんな人からのプレゼントが入っているであろう大きな紙袋を部屋に運び込んで、ふいに泉くんは言う。
「いいよ、遅くなるって聞いてたし。事務所のパーティ楽しかった?レオくんすごくはしゃいでそう。」
「うん、——楽しかったよ、自分が主役って気分がいいし。まあ……れおくんは確かに俺よりはしゃぎまわってたし、みんなも楽しんでくれたんじゃない?」
 ぶっきらぼうにも聞こえる言い方をするけれど、口調は軽いし、なにより表情も晴れやかで、本当に楽しかったんだというのがひしひしと伝わってくる。レオくんがはしゃぎまわっていたのだって目に浮かぶようだ。

 言葉にはしないものの上機嫌で荷物を整理する泉くんを尻目に、お茶でも淹れようかとキッチンに向かおうとしたとき、ふいに伸ばされた泉くんの手が私の手を掴んで引っ張った。そのまま彼がふたり掛けのソファに腰掛けるものだから、手を引かれた私もつられて隣に座る。
「会いたかったよ、やっと会えたねぇ、名前。」
 突然言われて驚いた私を、泉くんは幸せの形に少し細めた目でじっと見つめてくる。そのまま掴んでいた私の手を繋ぎ直し——たかと思うと、今度はちょっと意地悪そうな口調で聞いてくる。
「ねえ、名前はどうだったの——ほら、ちゃんと口に出して言って。」
 わかっているくせに、泉くんはいつも私に言わせようとする。
「寂しかったよ、私も会いたかった。」
 ……言葉にすると、本当に寂しかったんだなと実感してしまう。眉や唇が少しだけ曲がったのにもすぐに気づかれてしまった。私はモデルでもアイドルでもないから表情を作るなんて簡単にはできないし、そもそも泉くんはじっと私を見ているのだから。
 泉くんの手が伸びてきて、優しい手つきで頭を撫でる。その手は髪を梳りながら下降して、もう片方の手と一緒に私の頬をやんわりと挟み込む。近くなる泉くんの瞳がそうしてと言っていたから、暖かな掌を感じながら目を閉じた。

 柔らかく唇が触れて、少ししてまた優しく離れていく。
「俺も寂しかったし、会いたかった。さっきも言ったけど。」
 離れた隙間を埋めるように額を合わせて、ほっと息を吐きながら泉くんは囁いてくれた。頬に触れていた手を離して抱きしめられる。

「名前、明日は大学休みでしょ、俺も明日はオフだから、久しぶりにゆっくりしようねぇ」
 ぎゅうぎゅうに抱きしめられて幸せを噛み締める。いつもよりたくさん気持ちを言葉にして伝えてくれるのは、今日が特別な日だからだろうか。
 ——そういえば。私はまだ伝えられていないんだった。

「泉くん、お誕生日おめでとう」

 もう日付は変わってしまったけれど。
 私が用意したプレゼントはまだ渡せてなくて、机の上に置かれたままだけど。
 明日も一緒に居られるのだから、そんなことはどうだっていいよね。


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Dream, Short

思い出と共に飲み込んで

フォロワーさんに、お題と自分のところの夢CPを指定してもらい、それでSSを書くという遊びをやっています。その一つです。今回のお題は「お食事シーン」でした。

ジークフリートさんが夢主のいる国を訪れた先で、夢主と一緒に事件を解決したよ、みたいなシチュエーション。


 暖炉の薪がはぜる音、厨房のざわめき、さざなみのような他の客たちの声とカトラリーやグラスの触れる音。極寒の屋外とは違い、店の中は暖かさで満たされており、少し暗めの照明が心地よさを上乗せしている。高級レストランとまではいかないまでも、いつもより少しだけ豪華な夕食だった。
 メインはシチュー。よく煮込まれた野菜と、赤ワインの旨味が詰まったシチューには、これもまたよく煮込まれて、ほどけるような柔らかさになった牛の頬肉。柔らかすぎて、ナイフで切るのにもフォークで運ぶのにも苦労するほどだ。
 少しだけ、上品さを損なわない程度に少しだけ苦労しながら、名前は頬肉をほおばった。ほろりと崩れて、旨味だけが残る。思わずほぅ……と幸せそうにため息をついたところで、向かいに座る男の手元が目に入った。
「どうした?」
 何とはなしに眺めていると、視線に気づいたジークフリートが目を上げた。

「ん?あ、いえ……ちょっと意外だな、って」
「意外?」
 ジークフリートは先を促すように、口に運ぼうとしていたフォークを戻す。
「別に、大した話じゃないわよ。ただあなたって野営……というかサバイバルばっかりしてるイメージあるから。お上品な食べ方するんだなあって」
「上品……そうか?」
「そ、上品。ナイフとかフォークとか、ほとんど音もしないし、動きも……なんていうの?洗練されてるっていうか」
「ああ……一応俺も、城で暮らしていた時期があるからな。最低限のことは教えてもらった」
「あー、なんだか要人対応というか、そういうの慣れてる感じがしたけどそういうこと?」
「それもある……か」
 そこまで言って、楽しそうに続きを期待する名前に気付くと、ジークフリートは苦笑しながら話を続けた。
 朝から晩まで城で過ごすということ。騎士団の訓練や演習のこと。訓練で汚れた格好のまま城を歩き回っていたら、見ず知らずの女官にこっぴどく叱られたこと。そして――
「俺が知ってるのは――このくらいだ。……今の城のことは、俺もあまり詳しくはないからな」
 やや唐突に、ジークフリートは言葉を切った。
 怪訝に思った名前が、飲んでいたグラスを置いてジークフリートに目をやると、彼は肉の切れ端を口に放り込むところだった。

 ああ、やってしまった。不意に名前は気付いた。
「ごめんなさい」
 思い出を思い出にしきれていない人に、それを語らせてしまったと、名前は小さく謝罪した。
「何がだ?」
 ――わかってるくせに。
 帰ってきた返事に対しつい出そうになった言葉を、名前はシチューと一緒に飲み込んだ。少しだけぬるくなったシチューだが、濃厚なうまみは健在だった。変わらないシチューの味に、少しだけ変わった空気が際立ってしまう。
 そんな顔をするくせに、はぐらかさないでほしい。
 それを悟らせるくらいの仲になったのだと、ジークフリートだってそう思っているからこそだろうに、中途半端に追い出さないでほしい。名前は相手に気付かれない程度にそっとため息をついた。

 ここのところ一緒に過ごしてきて、わかったことがある。
 周りが見えて、(ずれていることもあるが)気遣いもできて、初対面では怖がられることもあるし口数が多いわけでもないが、打ち解けてみれば優しいし、頼りになる。
 だからこそ気付く。
 不意に見せる獣のような雰囲気に。深淵を除くようなまなざしに。そして、決して人を立ち入らせない確かな一線を引いていることに。
 あれだけ街を駆けずり回って、危険にも遭遇して、それを一緒に解決してきたのだから、確かに絆と呼べるようなものが生まれている。少なくとも名前はそう思っている。実際、出会ったころに比べれば、ジークフリートとの関係はこの上もないほどに良好になっていると言える。だからこそ気付いたし、だからこそもやもやが大きくなる。
 全幅の信頼が欲しいとまでは言えないが、なんでもない顔で、気付かないふりをされるのも癪だった。

 デザートは上品なオペラ。チョコレートはなめらかで、コーヒーの香りも鮮やかだ。濃厚だけれど甘すぎないから、肉料理の後でも飽きずに食べられた。
 ビターチョコとコーヒーの苦味が、やたら優しかったのが印象的だった。


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